小松信太郎小松 信太郎(こまつ しんたろう、1902年(明治35年)7月9日[1] - 1987年(昭和62年)9月29日[1][2])は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。衆議院議員。 経歴福島県[2]安達郡本宮町[1](現本宮市)出身。1918年(大正7年)市立仙台商業学校(現仙台市立仙台商業高等学校)を卒業した[1][2]。 本宮町農業協同組合長、本宮地区消費生活協同組合長、福島県信用農業協同組合連合会理事、福島県消費生活協同組合連合会理事などを務めた[2]。 政界では、本宮町議会議員、福島県議会議員に在任[2]。1955年(昭和30年)2月の第27回衆議院議員総選挙に福島県第1区で当選した鈴木周次郎について、1957年(昭和32年)公職選挙法違反による当選無効が確定したため、同年9月に実施された再選挙に日本社会党公認で立候補して初当選し[3]、1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙でも再選され[3]、衆議院議員に連続2期在任した[2]。1960年(昭和35年)民主社会党(民社党)の結党に加わった[1]。この間、社会党安達支部長、積雪寒冷単作地帯振興対策審議会委員などを務めた[2]。その後、第29回総選挙、1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙(福島県地方区)に立候補したがいずれも落選した[4]。 脚注参考文献
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