小原 謙太郎(おはら けんたろう、1900年(明治33年)12月15日[1] - 1990年(平成2年)10月2日[1])は、昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。
経歴
本籍・岐阜県[2]。官僚・小原駩吉の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1932年(昭和7年)6月15日、男爵を襲爵した[1][3][5]。
1927年(昭和2年)3月、京都帝国大学法学部を卒業した[2][3][6]。同年、大阪商船に入社し、東京支店勤務を経て、本社勤務となった[2]。
1944年(昭和19年)7月22日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[7][8]、公正会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。同年の第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補したが落選した[注 1]。
親族
脚注
注釈
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』540頁の「小原謹太郎」は誤り。
出典
- ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 上巻』401-402頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』66頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』オ47頁。
- ^ a b 『華族畫報 下』528頁。
- ^ 『官報』第1637号、昭和7年6月16日。
- ^ 『京都帝国大学一覧 昭和2年至昭和3年』京都帝国大学、1928年、484頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、52頁。
- ^ 『官報』第5258号、昭和19年7月25日。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。