小倉柳村小倉 柳村(おぐら りゅうそん、生没年不詳)は、明治時代の浮世絵師。 来歴制作期は1880年-81年(明治13-14年)に限られ、確実な作品は、版元新井八蔵から版行された東京名所絵9点だけである[1]。光と影の効果を生かし、江戸時代の浮世絵とは異なる、遠近法を自身のものと消化した上での作品を残した。小林清親の光線画[2]の影響が大だが、彼と直接の関係は無く、近藤市太郎は「(清親の)追従者」「謎の画家」と呼ぶ[3]。「向島八百松楼之景」では極端な遠近法による、障子を開け、墨水を眺める女を描いており、江戸浮世絵の浮絵を思わせる[4]。 藤懸静也は、画号から、五姓田芳柳の門人説をあげる[5]が、五姓田派の画風とは異なり、同派の研究をしている神奈川県立歴史博物館の図録にも、小倉への言及はない[6]。作品には「画工築地小田町一丁目十四番地」と摺られ、版元の新井も同住所とあり[1]、同一人物の可能性がある[7]。 作品
脚注注釈
出典
参考文献
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