寺部城
寺部城(てらべじょう)は、愛知県豊田市寺部町にあった日本の城(平城)。2008年(平成20年)6月2日付けで豊田市指定史跡[1]。 歴史寺部城は、文明年間(1469-1487年)に鈴木重時(下野守)によって築かれた。寺部鈴木氏は、寺部城を本拠に高橋荘東部を支配して、同地域に勢力を拡大しようとする松平氏と対立した。 天文2年(1533年)には岩津城(愛知県岡崎市岩津町)外で、鈴木重教は松平清康と戦うなどしていたが、三河に進出した今川義元に服属。しかし織田信長が台頭すると織田氏側に付いて離反したため、今川勢に攻められ、永禄元年(1558年)には鈴木重辰が松平重吉・元信と戦うなど、松平氏との攻防を繰り返した(寺部城の戦い)[注釈 1]。重教の子重政は、今川氏に服属するが、桶狭間の戦い以後の今川氏の退潮に伴って没落。 城は、永禄9年(1566年)、織田氏の重臣佐久間信盛によって攻められ落城した。寺部鈴木氏は松平氏の臣下となった。 その後、慶長15年(1618年)に尾張徳川家家老の渡辺守綱が寺部に入封し、1万4千石を領した。守綱は、寺部城址に寺部陣屋を構えて、以後渡辺氏が代々相続して明治時代まで至った。和泉国伯太藩の大名渡辺家は分家にあたる。 現在現在の城址は、寺部城址の森公園となっている。陣屋門が移築現存している。また、書院・又日亭は、豊田市内の七州城(挙母城)敷地内に移設復元されている。 脚注注釈出典
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