室積徂春室積 徂春(むろづみ そしゅん、1886年(明治19年)12月17日 - 1956年(昭和31年)12月4日)は、滋賀県出身の日本の俳人。別号に碌々子、平明居主人、碌二道人など。旧姓は増永、本名は尚(たかし)。 経歴1886年(明治19年)滋賀県大津市に生まれる。13歳から俳句を始め、正岡子規に入門、岡野知十にも学ぶ。早稲田大学に進むも、突如役者になると言い出し中退。新派の喜多村緑郎の一座に大木緑二という芸名で加わるが、しばらくして退団。役者業の断念を決めた巡業先の愛媛県宇和島市にそのまま住み、1913年、南予時事新聞(現在の愛媛新聞)に入社。また翌年には婿入りし室積姓となった。子規亡き後は高浜虚子門下としてホトトギスに拠り、虚子の『進むべき俳句の道』にて賞賛されホトトギス派の有力俳人となる。1914年には婿入り先の室積家の娘で同じく俳人の妻、室積波那女とともに再び上京。佐藤紅緑の俳誌「とくさ」を編集。1927年、自らの結社「ゆく春」を主宰し、見學玄や藤田旭山、西山東渓らを育てた。1956年(昭和31年)、69歳で没。北海道士別市のふどう公園に句碑がある。 句集、編著
参考文献
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