宗義蕃

 
宗義蕃
宗義蕃像(養玉院蔵)
時代 江戸時代中期
生誕 享保2年7月25日1717年8月31日
死没 安永4年8月12日1775年9月6日
改名 氏江浅之允(幼名)、如苗(初名)、宗義蕃
別名 主水(通称)
戒名 大順院殿法如超禅大居士
墓所 長崎県対馬市厳原町国分の万松院
官位 従四位下侍従対馬守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家重家治
対馬府中藩
氏族 宗氏
父母 宗義誠(氏江方誠)樋口真峯娘竹
宗義如
兄弟 義如義蕃松平忠名正室、お升、
藤堂高治正室
古川誠恒娘修性院、織部(西山氏)
氏江蕃寿田島暢茂蕃建暢栄、三浦伊織、
平田尚則内野隆年高瀬常久苗建斎大炊御門家孝継室
義暢
テンプレートを表示

宗 義蕃(そう よししげ/よしあり)は、対馬国府中藩9代藩主。通称、主水(もんど)。

生涯

享保2年(1717年)7月25日、第6代藩主・宗義誠(旧名:氏江方誠)の次男として生まれる。。享保15年(1730年)に父が死去した後はその弟である方熈が第7代藩主となっていた。翌享保16年(1731年)5月に、長兄の義如がその方熈の養嗣子(跡取り)となったため、その弟である浅之允が氏江家の後継者となる。更に翌年の享保17年(1732年)に義如が第8代藩主となり、その後浅之允も元服時に義如から偏諱を賜って氏江如苗(ゆきなり)と称した。元文4年(1739年)7月、義如により家老に任じられる。宝暦2年(1752年)、義如が死去したため、その養子として家督を継ぎ、第9代藩主となる。4月に従四位下、侍従・対馬守に叙位・任官され、5月に正式に姓に復して名も義蕃と改めた。

宝暦12年(1762年)閏4月28日に家督を義如の嫡男で養子の義暢に譲って隠居したが、なおも藩の主導権を安永3年(1774年)5月まで握り続けた。安永4年(1775年)8月12日に死去した。享年59。

系譜

偏諱を与えた人物

義蕃時代(※「蕃」の読みについては「しげ」→「あり」→「しげ」と改名している。)

  • 氏江寿(長男、氏江氏としての嫡男)
  • 高瀬(従兄弟、叔父で第7代藩主の宗方熈の次男。7男・常久の養父でもあると思われる)