安藤誓哉
安藤 誓哉(あんどう せいや、1992年〈平成4年〉7月15日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。東京都出身。ポジションはポイントガード。B.LEAGUE・島根スサノオマジックに所属している。 経歴大学まで1992年、東京都・江戸川区小岩に生まれ[2]、小学1年生の時にバスケットボールを始める[3]。 中学卒業後は明成高校に進学、2009年ウィンターカップを制し、2010年の全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会では準優勝の成績を残した[2]。さらに同年のバスケットボールアジアU-18選手権に出場するU-18日本代表に選出され、主力の役割を担う[4]。日本代表は8位に終わったが、安藤は1試合平均23.4得点を記録し得点王を受賞、ベストファイブにも選ばれた[2][5]。 明治大学入学後から、ポジションをポイントガードに絞ってプレイする[3]。2年次にはインカレ3位、3年次には同準優勝に貢献。4年生で迎えた2014年の李相佰杯争奪日韓学生バスケットボール競技大会では、日本学生選抜チームのキャプテンを務めた[6]。さらに、7月に予定されていた、若手を中心とした日本代表と、アメリカの大学が対戦する国際親善試合のメンバーにも選ばれたが、将来のオリンピック出場やNBAでのプレーを夢見る安藤は、よりレベルの高い環境を求めて大学バスケ部を退部、代表招集も辞退しアメリカに渡った。[要出典] プロ選手としてアメリカでは、エージェントの野澤亮介の協力もあり、夏期にプロ・アマ選手が参加して開催されるドリューリーグに参加[3]。安藤は4試合に出場し、最後の試合では4分弱の出場時間ながら7得点を挙げた[4]。これを評価したカナダのハリファックス・レインメンのゼネラルマネージャーが安藤をスカウトし、チームのキャンプを経て、レインメンと契約[4]。NBLカナダでプレイする日本人選手は、安藤が初めてであった[3]。安藤はジョゼップ・クラロスHCの元でポイントガードとして全試合に先発出場、1試合平均10.2得点、3.9アシストを挙げ、このシーズンのオールルーキーチームに選出された[7][5]。チームも地区優勝をし、全7戦で行われるファイナルズに進出。第6戦ではシーズン最多となる27得点を挙げた[7]。しかし第7戦の直前、練習時に相手チームから乱闘を仕掛けられたことなどを理由に、チームは抗議の意思表示として第7戦を放棄。これによりレインメンのメンバーはNBLから処罰されることになり、安藤もチームを離れることになった。 →「2015年NBLカナダ・ファイナルズでの乱闘」も参照
2015年5月、NBLカナダでのファイナルズ期間中からオファーを送っていたPBAのメラルコ・ボルツと契約[7]。チームのプレイオフ進出に貢献した[5]。 フィリピンでのプレーの後、安藤はNBAデベロップメント・リーグに所属するいくつかのチームから招待され、トライアウトに参加[8]。その後行われたDリーグドラフト指名候補のリストに掲載された[9] が、指名されなかった。 安藤は帰国し、リンク栃木ブレックスと契約。2015-16シーズン途中の加入で、25試合に出場したが、平均出場時間は6.4分と、過去のシーズンに比べ出場時間を減らす結果となった。シーズン終了後、栃木は安藤との契約を更新せず[10]、秋田ノーザンハピネッツに移籍した[1]。 2016-17シーズンの開幕戦となった2016年9月28日の古巣、栃木戦では、33分間出場し18得点、4アシストを挙げ、チームの勝利に貢献[11]。同年11月には日本代表強化合宿に初めて召集され台湾に遠征、台湾銀行、台湾ビールとの練習試合に出場した[12]。2017年1月に行われたB.LEAGUE ALLSTAR GAMEには、SNSによるファン投票で選出され[13]、10得点3アシストの成績を残した[14]。 2017-18シーズン開幕前にアルバルク東京にレンタル移籍。 スターターのPGを務め、クラブ初のB.LEAGUE制覇に貢献。 2018-2019シーズンに完全移籍。B.LEAGUE2連覇に貢献。 2020-21シーズン終了後にアルバルク東京を退団し、島根スサノオマジックへ移籍。 個人成績
脚注
外部リンク
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