安藤裕康 (外交官)
安藤 裕康(あんどう ひろやす、1944年(昭和19年)11月22日[1] - )は、日本の外交官。 外務省中東アフリカ局局長、イタリア駐箚特命全権大使、独立行政法人国際交流基金理事長などを歴任した。 来歴生い立ち1944年生まれ[2]。神奈川県箱根町出身、県立小田原高校を卒業。大学時代にサンケイスカラシップで米国に一年間留学[3][4] 1969年(昭和44年)8月に外務公務員上級試験に合格し、1970年(昭和45年)東京大学文学部卒業、外務省に入省した。 外交官として外務省本省にてアジア局南東アジア第二課長、大臣官房在外公館課長、大臣官房外務参事官、大臣官房審議官などを歴任した[2]。2002年には、中東アフリカ局長に就任した[2][5]。 在外公館では、在フィリピン大使館[6]、在連合王国大使館参事官、在アメリカ合衆国大使館公使、在アメリカ合衆国大使館特命全権公使などを務めた[2]。2003年には、ニューヨーク総領事に就任した[2][5]。 また、他省庁においては内閣官房での勤務経験を持ち、橋本政権下で内閣総理大臣秘書官を務め、小泉政権下で内閣官房副長官補を務めた[2][5]。 2008年、イタリア駐箚特命全権大使に就任した[5]。2009年、ローマで開催された先進7か国財務大臣・中央銀行総裁会議に出席した中川昭一が「朦朧会見」を引き起こした直後、バチカン美術館でもトラブルを起こしているが[7]、この時にバチカン駐箚特命全権大使の上野景文、財務省国際局局長の玉木林太郎らとともに随行していた[8]。 2011年にイタリア駐箚特命全権大使を退任し、後任にはロシア連邦駐箚特命全権大使を務めていた河野雅治が就いた。同年10月1日付で、国際交流基金の理事長に就任した[5]。 略歴
同期
脚注
関連項目外部リンク
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