安藤信由
安藤 信由(あんどう のぶより)は、江戸時代後期の大名。陸奥国磐城平藩4代藩主。官位は従四位下・対馬守。対馬守系安藤家9代。幕末の老中・安藤信正の実父。 生涯享和元年(1801年)10月11日(文化3年(1806年)10月12日とも)、2代藩主・安藤信馨の五男として誕生した。父が文化9年(1812年)に死去した時、兄・信発は既に早世しており、信由はまだ幼少であったことから、従兄の信義が家督を継いだ。信義には実子がなく、その養子となる。 文化14年(1817年)7月28日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。文政3年(1820年)12月16日、従五位下・伊勢守に叙任する。後に対馬守に改める。文政12年(1829年)7月5日、信義の隠居により家督を継いだ。天保2年(1831年)8月17日、奏者番に就任する。 藩政においては、天保の大飢饉や長雨による大冷害などで3000人を超える餓死者を出し、藩財政が困窮した。弘化4年(1847年)6月5日に死去した。享年47、または42。跡を長男の信正が継いだ。 系譜父母 正室
子女 脚注 |