内藤義稠
内藤 義稠(ないとう よししげ)は、江戸時代中期の大名。陸奥国磐城平藩の第5代藩主。官位は従五位下・左京亮。延岡藩内藤家宗家5代。 略歴第4代藩主・内藤義孝の次男。母は土屋政直の娘。元禄12年(1699年)9月16日生まれともされる[1]。 兄・義覚が早世したため嫡子となり、正徳2年(1712年)に父・義孝が病死したためその跡を継いだ。しかし藩政に見るところもなく、享保3年(1718年)に早世した。嗣子がなかったため、従弟にあたる政樹(伯父内藤義英の長男)が跡を継いだ。 死因は病死とされるが、松賀族之助・松賀孝興父子による毒殺説もある。 系譜父母 婚約者 養子 脚注
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