安福河伯神社
安福河伯神社(あふくかはくじんじゃ)は、宮城県亘理郡亘理町にある神社である。 旧社格は郷社。亘理郡延喜式式内社四座のうちの一座である。 祭神由緒景行天皇41年8月6日、日本武尊により勧請されたと伝わる。清和天皇の御世の貞観4年6月25日に官社に列し、正五位上を授けられた。往古は旧田沢村一円が神領地に指定されていたが、天正時代に戦乱が相次いだ影響で神領地は廃絶した。 境内の由緒書によれば、安福河伯神社は阿武隈川の治水用水・大和朝廷の北辺守護のために創建されたという。創建当初は、現在の鎮座地から東の逢隈田沢字宮原の阿武隈川のそば(常磐線の線路の西200mの堤防下)に鎮座していた。その後、現在の鎮座地である水上山の上へ遷座されたという。 代々の領主からも篤く崇敬されており、慶長7年には亘理伊達氏初代の伊達成実が社殿を造営、その後も寛政5年には十二石六斗の寄進が行われた。 境内
伝承昔、神様が西の山で畝を立てていた。畝を7つ立てていたのでそれが「七峰山(ななうねやま)」となり、残りの3掴み分の土を放り投げてできた丘が、現在安福河伯神社が鎮座している「水上山(三掴み山)」だという。 阿武隈川に関係する伝承もある。
そのため、川の神である安福河伯神社付近から阿武隈川は東に流れを変え、太平洋に向かうように流れていると伝えられている。 また、山の神は安福河伯神社の対岸の岩沼市に鎮座する千貫神社(旧称深山大権現)の祭神の大山祇神であるという。 参考文献
外部リンク
|