|
関東のパチンコ店チェーンについては「安田屋」をご覧ください。 |
安田屋本店(やすだやほんてん)は、静岡県静岡市葵区横内町にある江戸時代に創業のそば屋。
概要
安田家は先祖代々にわたり、県道静岡清水線(現・北街道)に面して晒屋を商いとし、江戸時代当時は、この北街道は清水港から駿府城へ物資を運ぶための運河で、その川の流れで木綿を晒していた。1866年(慶応2年)、晒屋から転職して、駿府城の近くにそば屋「安田屋本店」を開業したのが始まり。
1995年(平成7年)、城下町の商家を再現した蔵造りの店舗を新築し、「静岡市民景観賞」受賞した。また、1999年(平成11年)、四代目・安田貞男は、日本の蕎麦業界で初めての「現代の名工」を受章した[2]。
沿革
安田家
店の前を通る県道静岡清水線は、江戸時代に清水港から駿府城へ米を運んだ運河の跡で、いまも道路の下の暗渠には川が流れている。安田さんのご先祖は代々が晒屋(さらしや)で、その川の流れで木綿を晒(さら)し、川筋に7軒あった紺屋に納めていたという。
— 『にっぽん蕎麦紀行』、「伝統の蕎麦を守る安田屋」、富永政美著より抜粋[3]
現代の名工
- 第ⅤⅢ部門 その他の関係 - そば料理人 静岡県 安田貞男
- 手打ちそばの製造に秀で、特にそば粉に動、植、鉱物の種々の食材を打ち込んで、そば切りにした「変り蕎麦」に優れているほか、 一般消費者を対象とした講習会の開催等にも努めた[6]。
駿府蕎麦の伝統
- 静岡は太平洋に面した暖かい所と連想されるが、隣県の山梨県や長野県と続く山岳地帯で、昔の静岡は蕎麦の名産地だった。静岡そばの特徴は、昔は京都風の薄味の出汁だったが、徳川慶喜が駿府に来た頃から江戸風に変わった。その一方で、揚げ物などは関西風が一部に見られる。しかし、調理法などは基本的に江戸時代のまま残されている[2][3]。
変わり蕎麦
- 変わり蕎麦は、季節感と旬の香りを生かす、今まで創作した変わり蕎麦
- 野菜 - うど切り、生姜切り、人参切り、青ねぎ切り
- 魚 - 鯛切り、鮎切り、鰹切り
- 果物 - 林檎切り、さくらんぼ切り、柿切り
ギャラリー
-
安田屋本店の店内(2016年8月14日撮影)
-
「駿河そば」(2016年8月14日撮影)
脚注
参考文献
- 毎日新聞社、1983年。
- 『月刊日本』、「戸塚進也のこの人と語りたい(51)「駿府蕎麦」の伝統を未来に ゲスト 「安田屋本店」4代目店主 (社)日本麺類業団体連合会常任相談役・安田貞男」、著者 戸塚進也・安田貞男、東京 K&Kプレス、2002年3月、2021年7月7日閲覧
- 「静岡商工会議所 ビジネス交流」 - しずおか味な店 安田屋本店、2010年11月号、2016年5月5日閲覧
- 「静岡新聞SBS」 - 安田屋本店、2016年5月5日閲覧
著書
- 『駿府手打蕎麦』、味の匠シリーズ、安田貞男著、調理栄養教育公社、2001年、2016年5月5日閲覧
関連項目
外部リンク