安倍三寅
安倍 三寅(あべ の みとら)は、平安時代前期の貴族。三河守・安倍氏主の子。官位は従五位上・因幡権守。 経歴貞観6年(864年)従五位下に叙爵(この時の官職は左近衛将監)。のち、散位を経て貞観7年(865年)三河権介、貞観8年(866年)近江権大掾、貞観10年(868年)近江介と清和朝において地方官を歴任。また貞観8年(866年)11月には鷹三連の飼養を朝廷から許されている[1]。 陽成朝では右馬助次いで左馬助と馬寮の官人を務め、元慶3年(879年)に従五位上に昇叙されている。元慶8年(884年)光孝天皇の即位後まもなく鎮守府将軍に任命されると、仁和2年(886年)因幡権守と光孝朝では再び地方官を歴任した。 官歴『日本三代実録』による。
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