姶良郡(あいらぐん)は、鹿児島県(大隅国)の郡。
人口8,402人、面積144.29km²、人口密度58.2人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
歴史
現代の姶良郡は江戸時代、始羅郡(しら)と呼ばれていた。これが古代の大隅国に存在した姶羅郡(あいら)と混同され、明治期に「姶良」に統一された。古代における「姶羅郡」は現在の鹿屋市付近を指し[1]、中世までに肝属郡に編入された。このため、古代における「姶羅郡」と現代における「姶良郡」の直接の関連はない。
近世以降の沿革
- 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り[2]。特記以外は全域が現・姶良市。(38村)
- 溝辺郷 - 竹子村、崎森村、三縄村、有川村、麓村(現・霧島市)
- 山田郷 - 下名村、大山村、辺川村、上名村、北山村、木津志村
- 蒲生郷 - 上久徳村、下久徳村、久末村、白男村、北村、西浦村、米丸村、漆村
- 帖佐郷 - 東餅田村、鍋倉村、三拾町村、深水村、豊留村、中津野村、増田村、寺師村、住吉村、西餅田村、永瀬村
- 重富郷 - 平松村[3]、船津村[4]、脇元村
- 加治木郷 - 反土村、小山田村、日木山村、木田村、西別府村
- 明治4年
- 明治12年(1879年)2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての姶良郡が発足。「加治木郡役所」が管轄。
町村制以降の沿革
変遷表
自治体の変遷
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明治22年4月1日
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明治22年 - 明治45年
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大正1年 - 大正15年
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昭和1年 - 昭和20年
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昭和21年 - 昭和29年
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昭和31年 - 昭和64年
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平成1年 - 現在
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現在
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加治木村
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明治45年6月1日 町制
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加治木町
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加治木町
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加治木町
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加治木町
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平成22年3月23日 姶良市
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姶良市
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帖佐村
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帖佐村
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帖佐村
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昭和17年4月1日 町制
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帖佐町
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昭和30年1月1日 姶良町
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重富村
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重富村
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重富村
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重富村
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重富村
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山田村
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山田村
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山田村
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山田村
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山田村
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昭和30年1月1日 蒲生町に編入
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蒲生村
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蒲生村
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蒲生村
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昭和3年11月1日 町制
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蒲生町
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蒲生町
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溝辺村
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溝辺村
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溝辺村
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溝辺村
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溝辺村
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昭和34年4月1日 町制
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平成17年11月7日 霧島市
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霧島市
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西囎唹郡 福山村
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明治30年4月1日 姶良郡
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福山村
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昭和4年11月1日 町制
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福山町
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福山町
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西囎唹郡 東襲山村
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東襲山村
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昭和10年7月10日 改称 霧島村
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霧島村
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昭和33年11月3日 町制
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昭和25年4月1日 分立 東襲山村
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昭和29年4月1日 国分町
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昭和29年5月10日 国分町
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昭和30年2月1日 市制
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西囎唹郡 敷根村
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敷根村
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敷根村
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敷根村
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西囎唹郡 東国分村
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東国分村
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東国分村
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東国分村
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西囎唹郡 国分村
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大正15年4月1日 町制
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国分町
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国分町
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昭和29年4月1日 国分町
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西囎唹郡 清水村
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清水村
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清水村
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清水村
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昭和29年4月1日 隼人日当山町
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隼人日当山町
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昭和32年4月1日 改称 隼人町
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西囎唹郡 西国分村
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西国分村
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昭和4年10月10日 町制改称 隼人町
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隼人町
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桑原郡 西襲山村
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西襲山村
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昭和5年1月1日 改称 日当山村
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昭和28年5月3日 町制
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桑原郡 牧園村
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牧園村
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昭和15年4月1日 町制
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牧園町
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牧園町
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桑原郡 横川村
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横川村
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昭和15年2月16日 町制
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横川町
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横川町
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桑原郡 栗野村
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栗野村
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昭和7年4月1日 町制
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栗野町
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栗野町
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平成17年3月22日 湧水町
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湧水町
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桑原郡 吉松村
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吉松村
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吉松村
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昭和28年2月11日 町制
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吉松町
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吉松町
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行政
- 歴代郡長
出典[12]
脚注
- ^ 平安時代中期の辞書『和名類聚抄』には姶羅郡の郷として「鹿屋」「串伎」(後の串良町、2006年に鹿屋市と合併)など、現在の鹿屋市にみられる地名が記載されている。
- ^ 郷については「角川日本地名大辞典」による
- ^ 明治初年触田村を合併
- ^ 明治初年春花村を合併
- ^ 上久徳村のうち蒲生町も含む。
- ^ 鍋倉村のうち納屋町、東餅田村のうち十日町も含む。
- ^ 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置(明治29年法律第55号、 原文)
- ^ 大字重久のうち字吉水山・今城・青餅田・白落・仁連木・花牟礼・御子籠・樋渡・道場口・野首・中島末・岩田・折戸・山王田・山神・田中・平松・本待・修理田・島田・阿子田・順川・内園・世田・六與・岩元・須川原・桑ケ丸・桐畑・山路・折橋原・立山原・茅落・高付・崩平・新開込・樋口・小原・日徳原・関・木場・西木場・田口原・越口原・星熊原・七開・越口迫・重久迫・桃ケ迫・篠ケ迫・志明寺・内野々・堂免・外戸前・阿木世・野間口・有馬原・大久保・古外戸口・牧神・山田平・藤ヶ久保・杜久保、大字松永のうち字劍之宇都・中迫・鐘付・万膳田・初起田。
- ^ 大字松永のうち字劍之宇都・中道・鐘付・初起田・万膳田・川内を除く、大字重久のうち字桂坂・後原・麻苧迫
- ^ 大字姫城のうち字上向川原・稲荷田・落水田・西瓜川原・千次丸・羽坂・石踊・子作・金竹・下新原・砂走・上新原・取納田・鏡原・竿境・山野・浮田・栗ケ迫・大鳥・宇都・七ケ所・天神・地蔵田・石樋・中城口・平下の一部、大字平岡の一部。
- ^ 大字木津志のうち字論地・東宇都・白木川内・堂免・佐敷・山神原・水流田・中原・御納戸・坂中・宇都の口・柊木宇都・越下・堀之元・岩上・俵田・松坂・鍋松の一部。
- ^ 鹿児島県姶良郡役所『鹿児島県姶良郡群制史』1924年11月30日、40頁。https://books.google.co.jp/books?id=xHqj_hsbJZkC。
- ^ “鹿児島県鹿児島郡長佐藤良之助以下七名任官ノ件”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 国立公文書館 (1900年12月28日). 2021年8月5日閲覧。
- ^ 松元町郷土史編さん委員会; 松元町『松元町郷土誌』1986年3月31日、322頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11517082。
- ^ a b “鹿児島県姶良郡長大山綱任外六名同県郡長警視任免ノ件”. 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 国立公文書館 (1910年12月23日). 2021年8月5日閲覧。
- ^ “会長あいさつ・沿革”. 加治木工業高等学校同窓会. 2021年8月5日閲覧。
- ^ 鹿児島県川辺郡役所『鹿児島県川辺郡郡制二十五年史』1923年11月15日、293頁。
参考文献
関連文献
関連項目
外部リンク
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▲は分割により新しく設けられた郡。×は明治維新時までに消え、以後も設けられていない郡。◇は別国から統合編入された郡。 カテゴリ |