妙源寺(みょうげんじ)は、愛知県岡崎市大和町にある真宗高田派の寺院。山号は桑子山。本尊は阿弥陀如来。
概要
文暦2年(1235年)、親鸞が関東より帰郷する途中、当地に立ち寄ったことが始まりとされる。付近の領主安藤薩摩守信平は親鸞を柳堂(以前は「太子堂」といった)に招き説法を聞いた。上人の教えに感化された安藤信平は武門を仏門に入り念信と改名。正嘉2年(1258年)に寺を建て、これを明眼寺(みょうげんじ)と名付けたと伝えられる。16世紀の高田派の応真と真智による相続争いに際しては、満性寺とともに真智方の中心寺院として活動したため、次第に権威は後退した。三河一向一揆(1563年~1564年)の際、徳川家康は本寺に身を寄せ難を逃れた。これにより家康から「源」の一字を与えられ、妙源寺と改称した。三河地方の真宗の道場で最も古い道場と言われている。裏の墓地には安藤直次や高木清秀など、多くの武士の墓がある。
慶長8年(1602年)9月11日、徳川家康より朱印地30石を拝領した[1]。
毎年8月7日、8日に虫干しを兼ねた展観を行っている。
少年時代桑子学校(現在の岡崎市立矢作南小学校)に通った本多光太郎博士の墓が本寺にある。
重要文化財
以下の物件が国の重要文化財に指定されている[2]。
柳堂は建築の様式から、1400年代前半頃に建立された堂と推定される。よって、寺に保存されている正和3年(1314年)の上葺棟札は前身の堂のものと考えられる。
指定名称 |
種別 |
指定年月日
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妙源寺柳堂 附:厨子及び須弥壇一具、棟札5枚 |
建造物 |
1903年(明治36年)4月15日
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絹本著色善光寺如来絵伝 3幅 |
絵画 |
1918年(大正07年)4月08日
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絹本著色法然上人絵伝 3幅 |
絵画 |
1918年(大正07年)4月08日
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絹本著色親鸞上人絵伝 3幅 |
絵画 |
1918年(大正07年)4月08日
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絹本著色光明本尊 3幅 |
絵画 |
2014年(平成26年)8月21日
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ギャラリー
交通手段
脚注
参考文献
- 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、382-383頁。
- 『岡崎 史跡と文化財めぐり』岡崎市役所、2003年1月1日、131-132頁。