奥野英太郎奥野 英太郎(おくの えいたろう、明治4年12月17日(1872年1月26日) - 昭和20年(1945年)5月24日)は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍中将。大津市長。 経歴園城寺侍医奥野時之の長男として出生。1891年(明治24年)、京都府立第一中学校を卒業後、陸軍士官学校(6期)に入った。1895年(明治28年)に士官学校を卒業し、少尉として歩兵第8連隊に勤務した。その後陸軍大学校(15期)に入り、1901年(明治34年)に卒業した[1]。参謀本部付を経て、少佐として1909年(明治42年)に歩兵第70連隊大隊長に就任。以後、第12師団参謀、第7師団参謀、第14師団参謀、由良要塞参謀を歴任した。1912年(明治45年)、中佐に進級して朝鮮軍司令部参謀に就任した。1915年(大正4年)、大佐に進級して歩兵第48連隊長に就任し、翌年に第9師団参謀長に転じた。1919年(大正8年)に少将となって歩兵第24旅団長に就任し、1921年(大正10年)7月に第18師団司令部付に転じた[2]。1924年(大正13年)2月4日、中将に昇進とともに待命となり、同月26日予備役に編入された[2]。 1926年(大正15年)に大津市長に選出され、1930年(昭和5年)まで在任した。在任中は上水道の整備や市庁舎の新築を行った。市長退任後は大津市会議員や大津市信用組合長を務めた。 栄典
脚注参考文献 |