奥田栄之進奥田 栄之進(おくだ えいのしん、1864年3月11日(元治元年2月4日[1]) - 1945年(昭和20年)1月7日[2][3])は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。衆議院議員(4期)。 経歴奥田清蔵の二男として[1][4]、薩摩鹿児島藩領日置郡串木野郷麓(鹿児島県日置郡串木野町、串木野市を経て現いちき串木野市)に生まれる[5]。1881年(明治14年)7月、家督を相続する[1]。おじ奥田直之助の跡を継いで[6]1898年(明治31年)鹿児島県会議員に当選[2][5]。副議長を経て[1][3][4]、1902年(明治35年)同議長に就任[5]。同参事会員も務めた[2][3]。 1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙では鹿児島県郡部から出馬し当選する[3]。立憲政友会に属した[3]。以後、衆議院議員に連続4回当選した[2][3][6]。その後、1925年(大正14年)鹿児島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[7]から1932年(昭和7年)9月28日まで在任し、在任中は研究会に所属した[2]。議員在任中は串木野港の築港などを推進した[5]。 ほか、鹿児島県農会長、南薩鉄道取締役、鹿児島新聞社長[2]、川宮鉄道取締役、串木野製氷社長[3]、鹿児島火山友硅藻工取締役[4]などを歴任した。 脚注参考文献
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