奥村石蘭奥村 石蘭(おくむら せきらん、天保5年4月25日(1834年6月2日) - 明治28年(1895年)2月7日)は、日本画家。 人物尾張国名古屋(後の愛知県名古屋市白山町)の生まれ。名は庸。字(あざな)は可均。通称は源吾、大助。別号に知芳園、楓斎、庸堂主人。 尾張藩士の家柄に生まれる。10歳のとき、野村玉渓の門に入り15年間四条派の画を学び、1855年、京都に出て横山清暉に従い研鑽すること数年で名古屋に帰り、画を業とした。1883年に小田切春江、葦原眉山、木村金秋と同好社を設立し、大須総見寺に1878年に建設された名古屋博物館で展示即売会を開き、流派を超えて画界の発展を図った。 また多くの門人を養成して盛名があり、国風学校の画学教師として『小学校毛筆画初歩』や『高等小学校毛筆水墨画』を著わすなど、長く名古屋の美術教育会の重鎮であった。 石蘭は、このほか鳥源という雁鍋屋の大横看板も手がけており、それは間口一杯に、空飛ぶ三羽の雁をペンキ塗りで描かれており、それを目当てに多くの人が訪れたという。 墓は、名古屋市千種区極楽寺にある。 門下
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