奈勿王陵
奈勿王陵(なもつおうりょう、ハングル: 내물왕릉〈ネムルワンヌン〉)は、韓国の慶尚北道慶州市校洞(ハングル: 교동〈キョドン〉)にある新羅第17代王(尼師今[2]・麻立干[3][4])奈勿(なもつ〈ネムル〉)の陵とされる墳墓である。 1969年8月27日、大韓民国指定史跡第188号に新羅奈勿王陵(ハングル: 신라내물왕릉)として指定された後、2011年07月28日に現在の慶州奈勿王陵(ハングル: 경주 내물왕릉)に名称変更された[5]。 2000年11月、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(文化遺産)に登録された慶州歴史地域(慶州歴史遺跡地区、ハングル: 경주역사유적지구)の月城地区にある鶏林の西側に位置し[6]、南山地区(慶州南山一円〈史跡第311号〉)の一部(北麓)となる[7]。 概要奈勿王陵は、高さ5.3メートル[8]、直径22メートルの円形封土墳であり、周囲を自然石の護石で固めた[5][8]封土(盛土[9])のほかに要素の見られない外観から五陵の形式に分類される[10]。内部の構造形態は積石木槨墳と推定されるほか、横穴式石室墳であることも考えられる[8]。 この奈勿の王陵とされる墳墓は、『三国遺事』の「陵は占星台(瞻星台)の南西に在り」[3][8]という記述をもとに比定されるが[11]、皇南大塚(98号墳)を奈勿の王陵と捉える説もある[4][5]。 新羅第17代王の奈勿(在位356-402年)は、王位に就く三姓(朴・昔・金)のうち[12]、金氏として13代王(尼師今)の味鄒(みすう〈ミチュ〉、在位262-284年)に次いで2番目に王位に就き、以降、金氏が王位を独占的に継承している[5]。 脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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