太田米雄
太田 米雄(おおた よねお、1892年(明治25年)10月16日[1] - 1962年(昭和37年)2月1日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2] 経歴1892年(明治25年)に神奈川県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期、陸軍大学校第33期卒業[1]。1937年(昭和12年)8月2日に陸軍歩兵大佐に進級[2]、8月30日に第2軍兵站参謀長に着任し[2]、日中戦争に出動[1]。1938年(昭和13年)6月に歩兵第39連隊長(第10師団・歩兵第8旅団)に転じ[2]、武漢作戦に参加[1]。 1939年(昭和14年)8月1日、陸軍少将進級と同時に歩兵第2旅団長(関東軍・第4軍・第1師団)に着任[2][1]。1940年(昭和15年)8月に旅順要塞司令官[1]、1942年(昭和17年)4月に第63独立歩兵団長(中部軍)を歴任[1]。1943年(昭和18年)6月10日に陸軍中将進級と同時に第65師団長に親補され[1][2]、徐州の守備に当たった[1]。1944年(昭和19年)8月22日に参謀本部附となり[1]、10月6日に待命[3]、10月7日に予備役に編入された[2]。 栄典
脚注参考文献
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