天狗礫天狗礫(てんぐつぶて)とは、石が空から突然降ってくるという現象。 伝承まるでどこかから投げられたようでいて、どこから飛んできたのか分からないところから、天狗が投げた石つぶてではないかなどと言われる。天狗が人々に素行の悪さを悔い改めさせようとしているともいい、狐狸の仕業ともいわれる[1]。 この石に当たったものは病気になる、この怪異に遭遇すると不猟になるなどの伝承もある[2]。 事例石川県加賀市の怪談集『聖城怪談録』には、大聖寺町(現・加賀市)で大聖寺神社の神主が体験した天狗礫の怪異がある。空から石が降ってくるが、足元を見ると地面に落ちたはずの石はなく、川に石が落ちたような波紋ができるものの、やはり石自体は見えないという、不思議な現象だったという[3]。 また郷土史家・森田平次の著書『金沢古蹟志』によると同じく石川県、百万石の城下町・金沢市の市中繁華街にも天狗礫が現れたと言う。宝暦5年(1755年)3月、尾張町、今町に昼夜を問わず礫を打つことが甚だしく、それが止まらないために天狗の仕業といわれ、その後も頻繁に続いたという[4]。 嘉永7年(1854年)には、江戸の麹町の卵商人の家に盛んに天狗礫が起きたという。少ないときでも20個から30個、多いときでは50から60個もの小石がどこからか飛んで来るといった有様で、屋根に登って石を投げる者を見極めようとすると、石は背後から飛んでくるので、相手が背後にいるかと思い後ろを振り向くと、今度は反対側から石が飛んで来たという。さらに不可解なことに、石が人に当たっても、確かに当たった感触があるにもかかわらず、体には一切傷が残らなかったという。その家は次第に不思議な家として見物人が増え、町方同心たちが見回りを強化すると、次第に飛んで来る石の数は減り、ある日を境にこの現象は完全に消え失せたという[1]。 錦絵新聞『東京絵入新聞』明治9年(1876年)3月14日の記事には、屋外ではなく家の中に天狗礫が起きたという事例がある。同月10日に中村繁次郎という男の家の中で、正午頃から急に石が降り始め、1時間ほど降り続けた。繁次郎は驚いたものの、病床にある父を心配させたくない思いと、世間に知られたくないとの思いから、このことを敢えて話題にせず、降ってきた石を神棚に上げ、酒や食べ物を供えて妻とともに怪異の鎮まるのを祈った。すると神棚の石はいつの間にか消え、さらに激しく石が降り始めた。繁次郎は刀を振るって見えない敵を威嚇したものの、効果はなく、この日を境に毎日同時刻に石が降るようになった。やむを得ず繁次郎は警察に届け、巡査が家を訪れたところ、巡査の目の前でも石の降る怪異は起きた。その内に噂が広まって見物人が押し寄せてきた。そんな中を小林長永という人力車夫が現れ、自分が狐狸を追い払う祈祷を行い、それで効果がなければ専門の先生を紹介すると申し出たので、繁次郎は喜んで同意した。この祈祷の効果については、『東京絵入新聞』には記載されていない[5]。 『遠野物語』に2本の尾を持った大狐が石を夜な夜な降らした話が記述されている(その狐は捕えられた)。 『三代実録』に9世紀末頃の秋田城に石鏃が降ってきた話が記述されている(当時は人の手によるものと捉えられず、天神が雷と共に落としたものと見られた)。 不思議な現象を紹介するサイトX51.ORGに、南アフリカで石の雨に降られた女性の話が紹介されている[6]。 備考
松明丸松明丸(たいまつまる)は、鳥山石燕の『百器徒然袋』にある妖怪。火を携えた猛禽類のような鳥として描かれている。『百器徒然袋』の解説によれば、天狗礫が発する光で、深い山の森の中に現れるとされる[7]。暗闇を照らす火ではなく、仏道修行を妨げる妖怪とされる[8]。 脚注
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