大阪護國神社
大阪護國神社(おおさかごこくじんじゃ)は、大阪市住之江区にある神社(護国神社)。大阪府出身ならびに縁故の殉国の英霊10万5千余柱を祀っており、祭神の柱数は護国神社では沖縄県護国神社、福岡縣護國神社に次いで3番目に多い。現在は神社本庁の別表神社。 住之江公園の南西に鎮座し、新なにわ筋を挟んで住之江競艇場に隣接している。住之江通に面した正面鳥居は大阪府で最大の鳥居である。 歴史大阪府では、1871年(明治4年)4月10日に創設された真田山陸軍墓地の敷地内に招魂社が創建されたのが最初である。しかし、招魂祭は、西南戦争後は陸軍の拠点である大坂城内で、1883年(明治16年)以降は中之島に建立された明治紀念標[注釈 1]前で、1900年(明治33年)以降は城東練兵場[注釈 2]で行われていた。なお、正確な時期は不明であるが、真田山の招魂社は1918年(大正7年)までには廃絶されている。 招魂祭が長らく社前で行われなくなっていたことや、支那事変(日中戦争)勃発後に英霊崇敬の機運が高まりを見せたことから、1938年(昭和13年)に大阪府知事が奉賛会長として護国神社造営奉賛会を結成し、創建予定地である住之江公園の南西の低湿地を、府民のべ約36万人が勤労奉仕で約2年かけて埋め立てて、内務大臣指定護國神社として創建された[1]。1940年(昭和15年)5月4日に鎮座祭が行われたが、人材・資材不足のため正式な社殿の建築をすることができず、仮社殿での鎮座であった。その後に正式な社殿の造営を行う予定であったが、大東亜戦争の激化や敗戦後の混乱により着工出来ないままであった。 戦後、GHQによる神道指令の影響下における存続対策として仁徳天皇を祀り、「浪速宮(なにわぐう)」と称していた[2]。また、神社本庁の別表神社に加列されている。 社名は、サンフランシスコ講和条約締結後の1952年(昭和27年)に大阪護國神社に復称している[2]。こうした経緯から奉安殿に仁徳天皇を、その相殿に東郷平八郎を遺髪と共に祀るようになった。 1960年(昭和35年)に造営奉賛会が結成され、1963年(昭和38年)春に社殿が竣工し、5月29日に遷座祭が行われた[1]。1970年(昭和45年)7月15日に昭和天皇と香淳皇后が親拝され、1978年(昭和53年)5月31日には皇太子・皇太子妃(現:明仁上皇・上皇后美智子)が参拝されている。 2009年(平成21年)10月24日に特攻勇士の像が建立された。 祭神神官・諸活動
境内
交通脚注注釈出典
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