大関増昭
大関 増昭(おおぜき ますあきら)は、江戸時代後期の大名。下野国黒羽藩13代藩主。 天保5年(1834年)10月20日、12代藩主・大関増儀の次男として生まれる。天保13年(1842年)12月23日、長兄・綱一郎が早世したため世子に指名された[1]。弘化5年(1848年)2月21日に父が隠居したため家督を継ぎ、嘉永元年(1848年)12月16日に従五位下・信濃守に叙任された[1]。 嘉永3年(1850年)2月2日に大阪加番に任じられている。安政3年(1856年)2月25日、江戸の湯島天神にあった下屋敷で死去した。享年23。 跡を養子・増徳が継いだ。 系譜父母
正室
養子 脚注出典
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