大田熊太郎
大田 熊太郎(おおた くまたろう、1891年(明治24年)11月1日[1] - 1967年(昭和42年)6月9日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。旧姓は行本[1]。 経歴1891年(明治24年)に山口県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期卒業[1]。1939年(昭和14年)3月に独立歩兵第9大隊長(第1軍・独立混成第3旅団)に就任し、日中戦争に出動し[1][2]、崞県に駐屯した[1]。1940年(昭和15年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に歩兵第62連隊長(第12軍・第21師団・第21歩兵団)に就任し[2]、中原会戦などに参加した[1]。1943年(昭和18年)8月に第4師団司令部附となり[2]、大阪帝国大学に配属され[2]、1944年(昭和19年)4月に第44師団司令部附に転じ[2]、大阪帝国大学に配属された[2]。 1945年(昭和20年)2月12日に歩兵第71旅団長(第13軍・第65師団)に就任し[1]、徐州の警備に当たった[1]。同年6月10日に陸軍少将に進級[3]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。 脚注参考文献
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