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この項目では、宮崎県・鹿児島県内を流れる河川について説明しています。山形県鶴岡市の地名については「大淀川 (鶴岡市)」をご覧ください。 |
大淀川(おおよどがわ)は、宮崎県・鹿児島県内を流れ太平洋(日向灘・フィリピン海)に注ぐ大淀川水系の本流であり宮崎県を代表する河川である。
地理
都城盆地外延部の金御岳南麓(鹿児島県曽於市末吉町南之郷)に発し、都城市を経て山地内を穿ちつつ東へ向かう。宮崎平野を流れ宮崎市都心部の南で日向灘に注ぐ。
「森づくりから風土づくりへ大淀川流域住民プロジェクト」で、平成24年度国土交通省手づくり郷土賞受賞。
令和2年度大賞受賞。
過去の名称
明治初期までは流域ごとに別の名称が使用されていた。例として河口部(宮崎市街地)では赤江川か赤井川、宮崎市跡江辺りでは大川、宮崎市高岡町付近では左流川(さるかわ)、都城では竹之下川と呼ばれていた[1][2]。
しかし、全国的には江戸時代中期の日本地図に大淀川の名がみられ、地元にも町村制施行(1889年)までに定着していった。大淀村(1924年に宮崎町・大宮村と合併、現在の宮崎市大淀地域自治区・大塚地域自治区)の住民が「大淀」と命名した理由として「大淀川の南側に位置すること」を挙げていたという。
語源
「大淀川」の名前については諸説があり、定かではない[2]。
- 『日本書紀』に書かれた「小戸の橘」から「小戸川」(おどかわ)と呼ばれ、のちに転訛して「大淀川」となった説。
- 大阪の淀川に「大」を冠して「大淀川」になった説。
- 大淀川は広くて深い川という説。
- 小戸・大渡の渡しから名付けられたという説。
河口部の「赤江川」については2つの説がある[3]。
- 大淀川河口に「可愛」(かえ)という入り江があって大淀川とつながっており、川の名前も「可愛川」と呼んだ。それが訛って赤江川になったという。
- 「那珂江」(なかえ)が「赤江」(あかえ)に訛ったとの説もある。
高岡町の「左流川」についても2つの説がある。なお、上井覚兼日記では「佐理川」「さり川」と書かれており、現在の地名は「去川」である[4]。
- 薩摩街道は、ここで大淀川から去って山道に入るので、「去川」となったという説。
- ここには薩摩藩の関所が置かれ、大変厳しい取調べがなされたと言われる。その関所から見て、大淀川が左を流れているから「左流川」といったという。
都城の「竹之下川」(たけのした)は地名に由来し、昔には「岳之下」とも書かれた。城山の「崖下」(がけした)の意味だったが、時が経つうちに「竹之下」になった[5]。
流域の自治体
- 宮崎県
- 都城市、小林市、宮崎市
- 鹿児島県
- 曽於市
支流
自治体名は流域の市町村。
- 桜谷
- 湯之尻川
- 村山川
- 迫下川
- 梅北川
- 萩原川
- 高畑川(小鷺巣川と合流し萩原川になる)
- 小鷺巣川(高畑川と合流し萩原川となる)
- 崩川
- 安久川
- 姫城川
- 年見川
- 横市川
- 沖水川
- 庄内川(しょうないがわ) - 都城市。延長24.6kmの一次支流であり流域に日本の滝百選の関之尾滝がある。
- 千足川(溝ノ口川と合流し庄内川となる)
- 荒川内川(荒襲川合流し千足川となる)
- 荒襲川(荒川内川と合流し千足川となる)
- 大塚川
- 溝ノ口川(千足川と合流し庄内川となる)
- 小田川
- 大谷川
- 東岳川
- 木之川内川
- 有水川
- 炭床川
- 松八重川
- 岩瀬川(いわせがわ) - 小林市、高原町、都城市。延長44.1kmの一次支流。
- 木浦川
- 穴水川
- 秋社川
- 前谷川
- 境川
- 仁田尾川
- 浦之名川
- 瓜田川
- 江川
- 内の丸川
- 本庄川(ほんじょうがわ、綾町からの上流部では綾南川と称する) - 小林市、東諸県郡綾町、国富町、宮崎市。延長53kmの一次支流で、国富町に入り綾北川と合流して本庄川となる。主要地方道(宮崎県道26号宮崎須木線)が並走し、綾の照葉樹林には照葉大吊橋が架かる。
- 五十鈴川
- 大谷川
- 水流川
- 八重川
- 安楽川にある「高岡頭首工」では、取水した水を大淀川水系の中岳ダムに送水している。
橋梁
大淀川を名称の由来とするもの
脚注
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
大淀川に関連するメディアがあります。
外部リンク