大沢基之
大沢 基之(おおさわ もとゆき)は、江戸時代中期から後期にかけての高家旗本。通称は乙二郎、右京。官位は従四位上・侍従、右京大夫。 生涯近藤英用の六男として誕生した。生母は継室の米津政容の娘。初名は定興、基利。 安永5年12月14日(1777年)、大沢定寧の死去により、末期養子として家督を相続する。実父・英用は大沢基隆の次男であり、定寧の叔父であった。安永9年(1780年)11月18日、10代将軍・徳川家治に御目見する。寛政元年(1789年)7月1日、菊間詰となる。寛政4年12月16日(1793年)、高家見習に召しだされて、従五位下・侍従・右京大夫に叙任する。寛政6年(1794年)8月21日、高家職に就く。文化13年(1816年)5月21日、従四位下に昇進する。文化14年(1817年)6月21日、高家肝煎に就任する。文化15年(1818年)1月17日、従四位上に昇進する。 系譜子女は4男。
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