大島忠康大島 忠康(おおしま ただやす、1885年(明治18年)1月28日[1] - 1964年(昭和39年)4月1日[2])は、日本の鉄道官僚。樺太庁豊原市長。 経歴富山県下新川郡道下村(現在の魚津市)出身[3]。1913年(大正2年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業して、高等文官試験に合格した[1]。鉄道院書記、同参事補、同参事、鉄道省参事を務め、仙台鉄道局庶務課長、札幌鉄道局教習所長、室蘭運輸事務所長を歴任した[1]。1930年(昭和5年)に樺太庁鉄道事務所長に就任した[1]。 退官後、富山県で弁護士を開業し[4]、1940年(昭和15年)には魚津町(現在の魚津市)の町長に就任した[2]。 1942年、豊原市長に就任。終戦後はソ連軍との折衝に尽力し、1947年(昭和22年)に引き揚げた[2]。その後は魚津市で弁護士として活動した[2]。 脚注
著書
参考文献
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