大岡 忠綱(おおおか ただつな、1894年(明治27年)3月17日[1] - 1948年(昭和23年)5月4日[1][注釈 1])は、大正から昭和期の銀行家、政治家、華族。貴族院子爵議員。
経歴
子爵・大岡忠明の息子として生まれる[1][2][3]。父の死去に伴い、1905年(明治38年)2月16日に子爵を襲爵した[1][2][4]。
学習院高等科を経て[3]、1919年(大正8年)京都帝国大学法学部政治学科卒業[2][5]。1921年(大正10年)朝鮮銀行に入行し、その後、同行東京支店支配人代理を務めた[2][5]。
1932年(昭和7年)11月5日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に属して活動し、1946年(昭和21年)5月9日に辞職するまで2期在任した[5][8]。この間、鈴木貫太郎内閣・陸軍参与官、司法省委員、産業設備評価中央委員会委員などを務めた[5]。その後、公職追放となった[9]。
親族
脚注
注釈
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』38頁では昭和22年5月6日。
出典
- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成』上巻、267-268頁。
- ^ a b c d 『人事興信録』第14版 上、オ76頁。
- ^ a b 『華族畫報』上、297頁。
- ^ 『官報』第6487号、明治38年2月17日。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』38頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、40頁。
- ^ 『官報』第1757号、昭和7年11月7日。
- ^ 『官報』第5803号、昭和21年5月22日。
- ^ 『朝日年鑑』昭和22年版、91頁、「公職追放者一覧」。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報』上、吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
- 『朝日年鑑』昭和22年版、朝日新聞社、1947年。