大岡忠敬
大岡 忠敬(おおおか ただたか)は、三河国西大平藩第7代(最後)の藩主。大岡忠世家9代当主。 経歴第5代藩主大岡忠移の五男として生まれる。先代の実兄・第6代藩主忠愛に子がいないためにその養子となり、安政4年(1857年)に養父忠愛の隠居により家督を相続した。安政6年(1859年)に日光祭礼奉行、万延元年(1860年)に大坂加番を歴任し、文久2年(1862年)に大番頭に就任する。慶応3年(1867年)に同職を辞す。 幕末には当初は佐幕派に属したが、鳥羽・伏見の戦い以後は小藩故に多勢に無勢であり、新政府軍に帰順して挙母藩や田原藩とともに輸送の任にあたった。 明治2年(1869年)、版籍奉還により西大平藩知事に就任する。明治4年(1871年)の廃藩置県により、同職を罷免された。明治17年(1884年)7月8日、華族令により子爵を叙爵した[3]。 家族父母 妻
子女
脚注
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