大伴兄麻呂
大伴 兄麻呂(おおとも の えまろ)は、奈良時代の公卿。大納言・大伴御行の子。官位は従三位・参議。 経歴天平3年(731年)従五位下・尾張守に叙任される。天平9年(737年)主税頭として京官に復すが、天平10年(738年)美作守、天平17年(745年)美濃守と再び地方官を務め、この間天平13年(741年)正五位下に昇叙している。その後、天平18年(746年)従四位下、天平20年(748年)正四位下と聖武朝末にかけて急速に昇進を果たした。 天平勝宝元年(749年)7月の孝謙天皇の即位に伴い参議に任ぜられると、8月に光明皇后のために紫微中台が設置された際には、長官(紫微令)の藤原仲麻呂に次いで、石川年足と共にその次官(紫微大弼)に任官し、光明皇后・藤原仲麻呂を補佐した。同年11月正四位上、天平勝宝3年(751年)従三位となおも昇進を続けるが、それ以降『続日本紀』に消息の記載はない。一説では天平宝字2年(758年)に謀反したともされる[1]。 官歴『続日本紀』による。
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