大久保忠員
大久保 忠員(おおくぼ ただかず)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川氏の家臣で蟹江七本槍の一人。 天文6年(1537年)、松平広忠が伊勢国に逃れた際には、兄・大久保忠俊と共に岡崎城に帰参させた。天文11年(1542年)、松平信孝の反抗において、弟・忠久が信孝側についた時、兄・忠俊と共に忠久を説得して広忠側に帰順させた。 弘治元年(1555年)の蟹江城攻めにおいて戦功をあげ、「蟹江七本槍」の一人に称された。永禄6年(1563年)の三河一向一揆では上和田城を守備して活躍した。 登場作品参考
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