多治見橋
多治見橋(たじみばし)は、岐阜県多治見市の土岐川に架かる岐阜県道15号名古屋多治見線、岐阜県道421号武並土岐多治見線の橋。 概要歴史下街道のルートであり、明治の初めまでは冬季は土橋、夏季は渡し舟であった。1880年(明治13年)の明治天皇行幸に際し、官費により初めての板橋が架橋されるが翌年洪水により流出してしまう。資金を集め通行料で返済することとし、1882年(明治15年)に再建されるが1か月で再度流出してしまう。この様な経緯からしばらく再建されることなく過ぎたが、1886年(明治19年)に西浦円治が私財を投じ再建する。その後幾度かの補修が行われたものの流出することなく利用されていたが、傷みが激しくなったことから県費により架け替えられる。そして1937年(昭和12年)、コンクリート製の現多治見橋が完成する。国道19号、国道248号のルートとなり、自動車交通において重要な役割を果たし、その後国道19号、248号のバイパス完成により県道名古屋多治見線、武並土岐多治見線の橋となる。平成に入り、欄干や街灯の修景工事が行われた。 太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)7月15日の多治見空襲では、周辺にいた人々が橋の下に避難している。橋は機銃掃射を受け、橋の上の表面のコンクリートが剥がれ落ちている。 年表
橋周辺御幸町には、明治天皇行幸の際に行在所となった西浦円治の邸宅跡があり、西浦庭園として公開されている。 隣の橋(上流) 神明橋(県道19号) - 土岐大橋(国道19号) - 土岐川橋 - 土合橋 - 虎渓大橋(国道19号) - 記念橋 - 多治見橋 - 昭和橋 - 陶都大橋(県道67号) - 国長橋(国道248号) (下流) |