塩入亮忠
塩入 亮忠(しおいり りょうちゅう、1889年6月23日 - 1971年12月23日)は、天台宗の僧侶、仏教学者。第13代大正大学学長。雅号・一乗子、別名・汲海。 生涯1889年、長野県小県郡神川村(現上田市)に生まれる。1901年、東京浅草寺で得度。天台宗大学(現・大正大学)で学び、1915年に卒業。大谷大学研究科で華厳、唯識、天台宗学を学びつつ、奈良の華厳宗本山東大寺勧学院でも修めた。 1918年より天台宗大中学講師、1927年より大正大学講師となる。研究雑誌「伝教大師研究」を創刊。第2代駒込中学校長・理事長を務めた。1931年より大正大学教授。1951年、同大学学長に就任。1959年に定年退職し名誉教授。1961年、「伝教大師の思想と教学の研究」により東洋大学で文学博士号。 浅草寺執事長、宗務総長、探題。浅草寺法善院住職、川越喜多院の住職を務めた。[1][2] 著書
訳・共編論文注
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