坂上当宗
坂上 当宗(さかのうえ の まさむね)は、平安時代初期の貴族。名は正宗とも記される。姓は大宿禰。大納言・坂上田村麻呂の孫。右兵衛督・坂上浄野の子。官位は従五位下・左兵衛権佐。 経歴右近衛将監在官中の承和6年(839年)近衛と夷俘と共に伊賀国に派遣され、同国名張郡の山中にて私鋳銭を製造していた群盗17名を捕縛し、鋳銭の道具及び私鋳銭を没収して朝廷に提出している[1]。承和9年(842年)従五位下・左兵衛権佐に叙任される。承和13年(846年)鎮守府将軍に任ぜられると、嘉祥元年(848年)陸奥介と仁明朝末には東北地方の地方官を務める。[要出典] 文徳朝に入ると、仁寿3年(853年)掃部頭、斉衡3年(857年)左兵衛権佐と京官を歴任した。[要出典] 官歴『六国史』による。
系譜
脚注
参考文献 |