土御門雅房
土御門 雅房(つちみかど まさふさ)は、鎌倉時代中期の公卿。太政大臣・土御門定実の子。官位は正二位・大納言、弾正尹。尹大納言と称される。 経歴以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
『徒然草』第128段の雅房雅房は『徒然草』第128段に登場することで知られ、讒言によって近衛大将になり損なった、とされている。実は、雅房は伏見天皇が即位すると権中納言を辞したのだが、父定実も同様に大納言を辞している。 このことは雅房がどうやら亀山院派であることの証左であり、亀山院と関係が良くなかった後深草院の院政下では昇進が難しかったと推測できる。そのため雅房が権大納言に任ぜられ父定実も昇進することになったのは、後深草院が正応3年(1290年)に出家し伏見天皇による親政が始まってからということになる。 雅房が近衛大将を兼ねることができたとすれば家格から見て権大納言に任ぜられてからであり、近衛大将兼任を逃した代わり最終的には弾正尹を兼ねることになったのである。定実が太政大臣に任ぜられたのは後二条天皇が即位してからであり、定実・雅房親子が持明院統派に接近したのかどうか、検討の余地がある。 この段の「院」を従来は「亀山院」としているが、上記の状況を勘案すれば「伏見院」となるのではないかとも考えられる[3]。ただし、雅房が弾正尹を兼ねたのは後宇多院政下であり、伏見院政下では近衛大将になれなかった雅房を遇するために後宇多院が弾正尹に任じたとも考えられる。 系譜脚注参考文献 |