国家保衛非常対策委員会
国家保衛非常対策委員会(こっかほえいひじょうたいさくいいんかい、略称:国保委、국보위)は、朴正煕暗殺による維新体制崩壊後の権力の空白時期に、粛軍クーデターと非常戒厳令拡大措置を経て、政治の実権を握った全斗煥や盧泰愚を中心とする新軍部勢力が国政全般を掌握するため、非常戒厳令拡大措置以前からの構想に基づいて設置された機関である。 概要国保委は、非常戒厳令拡大措置後と光州民衆抗争鎮圧後の1980年5月30日に、戒厳法第9条・第11条~第12条及び同施行令第7条と政府組織法第5条に基づいて設置された。形式上は、大統領の諮問・補佐機関とされたが、実際には行政と司法の全般にわたる主要業務を指揮・監督・統制する執権機関であった。 国保委委員1980年5月31日任命[1]。
国保委常任委員1980年6月5日任命[2]。常任委員会は任命職委員16名と当然職委員14名(うち軍要職者18名、公務員12名)の計30名で構成され、委任された事項を審議調整するための常任委員長には新軍部勢力の中核である全斗煥保安司令官兼中央情報部長代理が就任した。
国保委による政権への地固め国保委は、その超法規的権力を行使して、学生デモや労働争議の背後操作及び扇動容疑で多くの民主化運動関係者を逮捕し、維新体制時代に活躍していた既成政治家についても、権力型不正蓄財の容疑で逮捕していった。7月に入ると、広範な公職者に対する粛清作業に着手、中央情報部要員300名あまりを整理したのに続き、高級公務員243名を含む5,480名の公務員を整理、政府傘下の団体や国営企業の役員3,111名も免職された。また、大学入学試験の廃止、卒業定員制実施、課外禁止措置を主な内容とする「教育正常化と過熱課外(学校以外の課外学習や補習、塾通い)解消法案」や、各種の社会悪を一掃するための「社会悪一掃特別措置」を発表した。 また言論を掌握するために、テレビや新聞などのマスメディアを強制的に廃止、統廃合する「言論統廃合」を実施した。この間に、崔圭夏大統領が大統領職を辞任し、8月27日の統一主体国民会議で大統領に選出された全斗煥が9月1日に第11代大統領に就任した。 全斗煥政権の基盤整備を行なった国保委は、10月22日の国民投票を経て成立した10月27日の第五共和国憲法の発効ともに解体され、国家保衛立法会議に引き継がれた。 脚注
参考文献関連項目 |