唐津市立名護屋小学校(からつしりつ なごやしょうがっこう)は、佐賀県唐津市鎮西町名護屋にある公立の小学校。
概要
- 歴史
- 小学校は1875年(明治8年)に「名古屋小学校」として創立。「名護屋」という表記になったのは1922年(大正11年)。2015年(平成27年)には創立140周年を迎えた。
- 校区
- 住所表記で「唐津市鎮西町」の後に「名護屋、串、波戸、野元」が続く地域。中学校区は唐津市立海青中学校[1]。
- 校章
- 五七の桐を図案化したものを背景にして、中央に校名の「名」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は川上清吉、作曲は真島豹吉による。歌詞は2番まであり、1番の歌詞中に校名の「名護屋」が登場する。
沿革
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- 1875年(明治8年)5月 - 第五大学区佐賀県管下第六中学区松浦郡の小学校として「下等名古屋小学校」が創立。
- 名古屋地区の松尾直太郎によって寄付された住宅を校舎とする。
- 1876年(明治9年)
- 4月 - 佐賀の乱に対する明治政府の懲罰により、佐賀県が廃止され、旧佐賀県域は三潴県となる。
- 8月 - 旧佐賀県域が長崎県となる。
- 1880年(明治13年)
- 5月 - 松浦郡が東西南北の4郡に分割され、東松浦郡に属することとなる。
- 9月 - 加唐小学校を統合の上、加唐分教場とする。
- 1881年(明治14年)- 「公立初等名古屋小学校」に改称。
- 1882年(明治15年)- 串分教場を設置。
- 1883年(明治16年)
- この年 - 「公立中等名古屋小学校」に改称。
- 5月 - 長崎県から佐賀県が分離・独立し、再び佐賀県に属することとなる。
- 6月 - 馬渡島が名古屋村に統合されたことにより、馬渡小学校を統合の上、馬渡分教場とする。
- 1885年(明治18年)10月 - 石室小学校を統合の上、石室分教場とする。
- 1886年(明治19年)- 串分教場を廃止。
- 1887年(明治20年)
- この年 - 小学校令の施行により、「尋常名古屋小学校」に改称。
- 9月 - 校舎を移転。
- 1888年(明治21年)3月 - 補習科を廃止し、在校生は呼子高等小学校に転出。
- 1889年(明治22年)
- 4月1日 - 町村制の施行により、名古屋村立の小学校となる。
- 10月 - 馬渡分教場が分離の上、尋常馬渡小学校として独立。
- 1890年(明治23年)- 加唐分教場が分離の上、簡易加唐小学校として独立。
- 1892年(明治25年)
- 4月 - 石室分教場が尋常呼子小学校打上分校と統合の上、打上尋常小学校として独立。
- 7月 - 「名古屋尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変更となる)。
- 1894年(明治27年)4月 - 校舎を新築し移転を完了。
- 1899年(明治32年)4月 - 校舎がせまくなり、民家を借用して分教室を設置。
- 1900年(明治33年)4月 - 児童数の増加により、寺院と民家を借用し分教室を3ヶ所設置。3・4年生の科目に裁縫科(女児のみ)を加える。
- 1902年(明治35年)4月 - 校舎を増築の上、高等科を併置し、「名古屋尋常高等小学校」に改称(尋常科4年・高等科4年)。波戸分教場を設置。
- 1904年(明治37年)4月 - 高等科3・4年の科目に農業科を加える。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
- このため、旧高等科1年が尋常科5年に、旧高等科2年が尋常科6年に、旧高等科3年が高等科1年に、旧高等科4年が高等科2年にふりかえられる(尋常科6年・高等科2年)。
- 義務教育年限の延長により、収容児童数が増加し、既存の校舎では収容困難となる。このため村役場の一室を仮教室とする。
- 1909年(明治42年)
- 4月 - 尋常科3年以上の科目に手工科を加える。
- 6月 - 畑中の民家を借用し村役場から仮教室を移転。
- 1916年(大正5年)5月 - 名古屋実業補習学校が併設される。馬渡島・加唐島に実業補習学校の分教場が設置される。(のちに公民学校に改称)
- 1922年(大正11年)1月1日 - 村名の表記が名古屋村から「名護屋村」に改定される。これにより「名護屋尋常高等小学校」に改称。
- 1923年(大正12年)4月 - 教室の不足により、村役場の階下を仮教室とする。
- 1924年(大正13年)2月 - 校舎1棟(6教室)が完成。
- 1933年(昭和8年)4月 - 児童数の増加により、東西区青年会館、天満宮絵馬堂を借用し仮教室とする。
- 1935年(昭和10年)
- 1939年(昭和14年)5月31日 - 高等科を1学級増設。高等科1・2年生の女子を複式学級とする。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「名護屋村名護屋国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 名護屋国民学校の初等科は「名護屋村立名護屋小学校」となる。
- 名護屋国民学校の高等科は青年学校の普通科と統合され、新制中学校「名護屋村立名護屋中学校[2]」が発足。当初小学校に併設される。
- 7月 - 校舎の大改修に着手。
- 1950年(昭和25年)
- 1月 - PTAが発足。
- 3月 - 中学校の校舎が完成したため、小学校との併設を解消。
- 1932年(昭和27年)- 改築のため、老朽校舎を解体。
- 1933年(昭和28年)
- 8月 - 新運動場が完成。
- 11月 - 新校舎が完成。
- 1934年(昭和29年)10月 - 土俵を新設。
- 1935年(昭和30年)6月 - 水道の給水を開始。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 名護屋村が打上村と合併し鎮西町が発足したことにより「鎮西町立名護屋小学校」に改称。
- 2005年(平成17年)1月1日 - 鎮西町が唐津市に編入されたことにより「唐津市立名護屋小学校」(現校名)に改称。
交通アクセス
- 最寄りのバス停
- 最寄りの幹線道路
その他
平成29年5月、プール開きのためプールの掃除をしたところ、多数のカスミサンショウウオ(絶滅危惧種)の生息が確認された[3]。
周辺
脚注
参考資料
- 「鎮西町史」(1962年(昭和37年)4月20日発行, 鎮西町)
関連項目
外部リンク