和戸
和戸(わど)は、埼玉県南埼玉郡宮代町の町名および大字。現行行政地名は和戸一丁目から五丁目、および大字和戸。町名部分は住居表示実施地区。郵便番号は345-0812[2]。 地理埼玉県の東部地域で宮代町の北西部に位置する。北側および西側で久喜市(大字太田袋、大字下早見、久喜東、大字吉羽)、東側で杉戸町(大字下野、大字下高野)と隣接している。南側では大字須賀、大字国納、和戸横町、宮代台、大字西粂原、大字国納(飛地)と隣接する。中落堀川が流れ、北端の境界としている。大落古利根川が流れ、東端の境界[注釈 1]としている。 地内の北部を中心に大字国納の飛地が大小複数個所存在する。地内の北西部およびさいたま幸手線沿道に大字和戸の飛地が存在する。 地内は町丁部分は和戸駅に近く、区画整理された住宅地であるが、その住宅地の中に農地も点在して見られる。大字部分は北西部を中心に広大な水田地帯が広がるなど、農地が多くみられるが、北東部に纏まった住宅地も見られる。その水田地帯を横切るように首都圏中央連絡自動車道(圏央道)が建設され、それを機にその周辺に巨大な物流施設が出来、そこが新たな地名(和戸横町)となった[4]。 河川地価住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、和戸五丁目5番14号の地点で4万9,500円/m2となっている[5]。 歴史もとは江戸期より存在した武蔵国埼玉郡百間領の和戸村で、江戸初期に国納村より分村したと云う[6]。さらに古くは戦国期より見出せる岩槻領のうちの和戸があり、そのころは鷲宮神社の神領を和戸のうちに有していた[6]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では547石余(田214石余、畑332石余)、『元禄郷帳』によると580石余、『天保郷帳』によると595石余であった[6]。化政期の戸数は100軒で、村の規模は東西30町、南北5、6町であった[6]。村内を通る幅四間(約7.2メートル)の日光御成街道には、古利根川を渡る長さ十一間(約20メートル)の和戸橋が架けられていた[7][6]。 なお、岩槻近傍にかつて同音異字の和土村(わどむら)という自治体が1954年(昭和29年)まであったが、合併7か村との融和に因む名前で有り[6]、当地とは無関係である。
世帯数と人口2024年(令和5年)4月時点での世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
交通鉄道道路
地域寺社
施設
脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク
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