周大文周 大文(しゅう だいぶん、中国語: 周大文; 拼音: Zhōu Dàwén; ウェード式: Chou Ta-wen、1890年(清光緒16年) - ?)は、中華民国の政治家。字は莘章。江蘇省常州府無錫県の人。 事績天津新学院を卒業後、奉天派に属する。奉天督軍公署電務処長、東三省巡閲使秘書長、東北電政監督、本渓湖煤鉄公司督弁を歴任した。易幟後の1931年(民国19年)8月に、国民政府実業部開灤鉱務督弁に任ぜられる。1931年(民国20年)2月から1933年(民国22年)6月まで北平特別市市長に起用された(ただし1932年1月までは、青島市長でもあった胡若愚が市長代理を務めている)。1932年(民国21年)、周大文は東北政務委員会委員、北平政務委員会財政整理委員会常務委員に任命されている。以後、周の行方は不明である。[1][2] 注参考文献
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