吉田知代
吉田 知代(よしだ ともよ、1975年(昭和50年)2月23日 - )は、日本の政治家。日本維新の会所属の元衆議院議員(1期)。元丹波篠山市議会議員(2期)。政治活動では「吉田とも代」の表記を使用している。 来歴兵庫県神戸市垂水区出身(現住所は明石市上ノ丸3丁目[2])。神戸松蔭女子学院大学短期大学部卒業。トヨタグループ輸送機器メーカー、損害保険会社に勤務。 2016年4月の兵庫県篠山市(現・丹波篠山市)の市議会議員選挙におおさか維新の会公認で当選し、2期務める[3]。 2021年、日本維新の会本部は次期衆院選に向け、祖父母が徳島県出身である吉田を徳島1区に吉田を擁立することを決定。同年9月30日、吉田は市議を辞職[4]。10月4日、徳島1区から日本維新の会公認で立候補する意向を正式に表明した[5]。10月19日、第49回衆議院議員総選挙が告示。吉田は住民票を兵庫県から徳島県に移さなかったため、選挙事務所を借りることができなかった。そのため、日本維新の会徳島県総支部(徳島維新の会、代表は衆議院議員の井上英孝)[6]の岡孝治幹事長の許可を得ずに、徳島1区の事務所を総支部に置く登録をした。 同年10月31日、投開票。仁木博文・後藤田正純らの争いに埋没し、得票率は供託金没収点を僅かに上回る10.10%であったが、比例四国ブロックで日本維新の会が1議席を獲得したため、比例復活で初当選した[7][8][9]。 当選後、吉田はメディアに「郊外に大規模な商業施設を誘致し、公園を作り、徳島を発展させたい」と抱負を述べた。しかし徳島市では、JR徳島駅前のアミコビルからそごう徳島店が撤退したばかりで、内藤佐和子徳島市長(当時)の掲げる旧徳島市立文化センター跡地の県立ホール建設構想を含め[10]、中心市街地の再開発事業が重要視されていた頃であった。岡ら地元維新幹部は「徳島のことを何も知らない吉田氏とはやっていけない」と述べ、2022年1月、同党徳島県総支部の解散を決めた[11][12]。 2022年4月16日、組織を一新した「徳島維新の会」は記者会見を開き、団体の設立を県選管に届け出たと発表した。代表には吉田が就き、幹事長に梅村聡参議院議員、総務会長に池下卓衆議院議員らが就いた[13]。 2024年10月27日の第50回衆議院議員総選挙では、小選挙区では得票率11.8%で敗れ、比例四国ブロックで維新が議席を確保できなかったため落選した[14]。 政策・主張憲法
外交・安全保障
ジェンダーその他
選挙歴
脚注
外部リンク
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