吉富庄祐吉富 庄祐(よしとみ しょうすけ、1882年〈明治15年〉4月19日[1] - 1943年〈昭和18年〉9月11日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴山口県出身[1][2]。1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業[3]。翌年6月、陸軍歩兵少尉に任官する[3]。1909年(明治42年)12月、陸軍大学校に入校し、1912年(大正元年)11月、陸軍大学校第24期卒業[4]。 1921年(大正10年)7月、参謀本部部員となり、1924年(大正13年)7月、陸軍歩兵大佐に進み、歩兵第7連隊長を発令される[2]。陸軍歩兵学校附、第20師団参謀長を経て、1929年(昭和4年)12月、兵器本廠附となり、陸軍少将に進級する[2]。その後、歩兵第32旅団長、第2師団司令部附を経て、1934年(昭和9年)8月、陸軍中将に進級と同時に待命、翌月予備役に編入した[1][2]。 親族栄典
脚注参考文献
|