台湾のカトリック台湾のカトリック教会は、台湾(中華民国)における世界的なローマ・カトリック教会の一部であり、ローマ教皇の精神的指導やローマ教皇庁の元に置かれている。 概要1514年、台湾はポルトガルのフンシャル教区の管轄下として正式にローマ・カトリックの版図に編入されたが、それ以前も組織化された宣教活動が存在していた。1576年に設立されたマカオ教区により、初めて台湾と中国大陸の大部分がカバーされた。16世紀から19世紀にかけて教区の分割再編により、台湾の所属は年代順に南京教区(1660年)から福建代理区(1696年)を経てアモイ代理区(1883年)に変更された。 1913年に、フォルモサ(すなわち台湾)使徒座知牧区(羅: Praefectura Apostolica de Formosa)が設立され、アモイ代牧区から分離された。1949年に台北教区が設立されるとともに、台湾知牧区は高雄教区と改称された。教区の分割再編を経て、現在、台湾のカトリック教区は大司教区1、司教区6および使徒座管理区1で構成されている(詳細は後述)。 現在、台湾でのカトリック教会の最高指導者は、2007年11月に任命された台北大司教ヨハネ洪山川である。 1.5%から2%の台湾国民がカトリック教会に所属している。 1951年9月に中国へと派遣されていた教皇公使が香港へ追い出された。1952年以来、教皇公使は台湾(中華民国)に駐在している。同様に中華民国の対使徒座大使は、中国と使徒座との間の唯一永続する外交関係を提供して来た。台湾と断交せよという中華人民共和国の要求が受け入れられなかったので、北京へ教皇大使を移動させようとする試みは失敗した。 カトリック教会は台湾で、輔仁大学を運営している。 戦前、カトリック教会は台湾南部を本拠地とし、1860年代にフィリピンから来たスペインのドミニコ会の司祭たちが中心となっていたが、その存在感は非常に小さいものであった。第二次大戦末期から戦後にかけて、中国大陸における共産主義勢力による迫害により、大量の宗教共同体が台湾に逃れてきた。結果的にカトリック教会の信徒構成は北京官話を話す戦後の大陸出身移民(外省人)比率が過度に高くなり、明清時代からの大陸出身移民(本省人)や台湾原住民は非主流派となった。さらには、国民党に対して大陸出身の司教たちが当初支持を公表したことや、島内での民主化闘争にカトリック教会が関与しなかったことなどが、台湾における発展の阻害要因となったことは否めない。 シャーマニズムの実践と結び付いているという点も、台湾でのカトリシズムの一つの特徴として興味深い。これらのシャーマニズムは中国語で巫術と呼ばれ、インカルチュレーション(諸民族の慣習・民族性に対する寛容)の一環とされる。それらは台湾原住民の伝統的宗教の必要不可欠な部分であり、彼らは国民党支配の開始後にキリスト教に改宗し、大半は長老派あるいはカトリック信徒となった。 2009年に、台湾でのカトリック教会は宣教150周年を迎えた。 沿革
台湾のカトリック教区
参考文献
脚注
関連項目外部リンク |