古都保存協力税古都保存協力税(ことほぞんきょうりょくぜい)は、京都市で実施されていた法定外普通税である。古都税とも呼ばれる。 概要古都保存協力税は、京都市が1985年(昭和60年)から1988年(昭和63年)の間、市内文化財の保存整備推進のために徴収していた法定外普通税である。古都保存協力税は市内40寺社の文化財の鑑賞に対しその鑑賞者に課税され、鑑賞者1人1回につき50円が文化財を鑑賞に供する寺社を通じて徴収された[1]。根拠となる条例は京都市古都保存協力税条例である。 1982年(昭和57年)の構想打ち出し以降京都市と市内寺社は対立し、有名寺院等による拝観停止や、条例の施行差し止め等を市に求める裁判[1]等の反対運動が行われた。その結果、わずか3年で古都保存協力税は廃止された[2]。 一連の対立は「古都税騒動」とも呼ばれ、日本国外の英語圏内ではでは「テンプル・ストライキ」とも報道された[3]。 その後平成時代には古都保存協力税の話題はなかったものの、令和時代に入って以降はオーバーツーリズム対策(参拝者による神社・仏閣・寺院の混雑緩和目的での施設への流入抑制など)などの観点から、この古都保存協力税の再開をすべきとの意見が出され、2024年京都市長選挙でも一部の候補者が古都保存協力税の復活構想を掲げていた[4]。 地方税制について
税目が成立した場合、担税者が租税を負担することにより、地方自治体に税収が生じる。自治体の行政サービスを享受することにより、住民は負担した租税の還元を受ける。 この流れをつくる地方税制は、一定の形式によらなければ成立しない。一定の形式とは租税の徴収時期、徴収対象、徴収方法、徴収金額などを法律で定めておくというものである。納税者に租税を理解してもらい不満を和らげるには必要な形式である。同時に租税の趣旨から行政が一律に納税者より徴税する形式が実情にそぐわない場合もある。このため租税法は特例措置や時限立法を設けている。 例えば、公益法人たる学校法人や宗教法人の礼拝施設として、不動産が利用されている場合には、固定資産税は課されない。古都税を制定した京都市も学園都市であり、多くの神社仏閣を市内に抱える観光都市でもある。したがって、上記の団体から固定資産税による税収はない。 また、時限立法とは税制の見直しをするために期限を設け、以後廃止すべきか継続すべきかを判断させるものであり、ある程度は弾力的な運用が求められる。それでも租税の根拠となる法令が成立すると、行政は大きな権能を持つため、立法には成立までの十分な見立てが必要となる。 古都税とは都道府県や市区町村は、公共サービスへの対価として住民から税金を徴収する。「地方税法」は、地方自治体が住民から徴収できる租税のかたち(税目)を定めているが、同法は自治体が独自の税目を創設できる旨も規定している。古都税は京都市が作った条例に基づく。 1956年(昭和31年)、京都市で文化観光税(正式には文化観光施設税。通称は文観税)が実施された。岡崎の京都会館は、この文観税の賜物である。7.5年の時限立法であったため、1964年(昭和49年)に、京都市は再び同様の条例を5年の時限立法で創設した。この際に、条例反対の意見があったため、当時の高山義三市長は「今後同種の税を新設や延長することはない」という『覚書』を、反対する寺社と交わしている。 古都税を創設した1985年(昭和60年)、当時の京都市長であった今川正彦は、同税は住民に対する税金ではなく、京都市内の寺社建物へ支払う拝観料へ課税し、文化財を保護する市への協力を拝観者へ依頼するものと、京都市会へ説明している。実施してから向こう10年間、対象寺社の拝観者は窓口で大人50円、小人30円を拝観料に上乗せして支払う。対象寺社は特別徴収義務者として、京都市へ納める特別徴収である。 これに対して、自治体の財政収入を「市外からの来訪者」へ負担してもらうのは「応益の原則」に反しているのではないかとの意見もあった。拝観は宗教行為であるとする観点から、拝観料への課税は信教の自由を保障した日本国憲法に違反するのではないかとする意見もあった。今川市長が古都税を入れた動機には、かつて京都市が古都税以前にも同様の観光税を実施していた例があるとされる。 古都税の創設時の対象寺社は、以下の通りである(条例のままに朝日新聞[要文献特定詳細情報]がつけた番号を附す)。 古都税に関連する京都市政年表
古都税の施行は古都税騒動と呼ばれる政治事件を起こした(経緯を参照)。1988年3月31日京都市は古都保存協力税を廃止した。 古都税騒動の経緯
脚注
参考文献
|