唐の名琴『大聖遺音』、故宮
古琴 (こきん、クーチン、拼音 : gǔqín )は、中国 の古い伝統 楽器 。七弦琴 (しちげんきん)、瑶琴 (ようきん)とも呼ぶ。3000年の歴史がある撥弦楽器 で、八音 の「糸」に属し、7本の弦を持つ。箏 などと違い、琴柱(ことじ)はなく徽 (き)と呼ばれる印が13あり、これに従い、左指で弦を押さえて右指で弾く。古琴演奏技は、2003年、ユネスコ の無形文化遺産保護条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に掲載され、2009年9月に無形文化遺産 として正式登録された[ 1] 。
古琴は中国の文人が嗜むべきとされた“琴棋書画 ”の一番目である。孔子 、諸葛孔明 、竹林の七賢 の嵆康 、陶淵明 、白居易 など、歴史上著名な多くの文人によって演奏された。日本でも菅原道真 、重明親王 が学んだことが知られる。「君子左琴」「右書左琴」「伯牙絶弦」「知音」など、琴にまつわる故事成語も多い。
宇宙探査機ボイジャー に積載されたゴールデンレコード には管平湖 による古琴の演奏が収められている。
構造
古琴の胴体は全長130cm前後で、伝統的にアオギリ 製とされるが[ 2] 、それ以外の木材も使われ、雲杉(トウヒ属 )製も人気が高い[ 3] 。7本の弦を有し、演奏者から見て遠い方から順に第1弦、第2弦、…、第7弦と数える。調弦 方法にはさまざまなものがあるが、もっとも基本的な正調では第1弦から順に C D F G A c d であり、開放弦 で五音音階 を奏でることができる[ 2] 。右手の小指以外の4本の指を使って弾く。複数の弦を同時に弾くこともあり、音程としては八度・五度などが使われる。
散音
泛音
按音
ギター のフレット や琴柱のようなものは存在しない。左手も小指以外の4本の指を使うが、左指の使い方には散・泛・按の3通りがある[ 2] 。
散 - 左指を使わない(開放弦)
泛 - 左指で軽く弦に触れて倍音を出す(フラジオレット )
按 - 左指で弦を押さえて音の高さを変える。弾きながら指を動かして音高を変化させる技法(ポルタメント )が多用される。
古琴を弾いている張子謙
左指で押さえる場所を示す13個のしるしを「徽」と呼び、演奏者から見て右から左へ第一徽・第二徽……と呼ぶ。徽は開放弦に対する弦長比が単純な分数 になるように定められており(純正律 を参照)、徽同士の間隔は一定しない。開放弦が C の場合、徽と音の関係は以下のようになる[ 4] 。
徽
13
12
11
10
9
8
7
6
5
4
3
2
1
弦長比
7 ⁄8
5 ⁄6
4 ⁄5
3 ⁄4
2 ⁄3
3 ⁄5
1 ⁄2
2 ⁄5
1 ⁄3
1 ⁄4
1 ⁄5
1 ⁄6
1 ⁄8
按
D[ 5]
E♭ [ 6]
E[ 7]
F
G
A[ 7]
c
e
g
c1
e1
g1
c2
泛
c2
g1
e1
c1
g
e
c
e
g
c1
e1
g1
c2
按音の場合は、徽の位置ちょうどを押さえるだけでなく、徽と徽の間の位置を押さえる場合もある。その位置を示す場合は、第八徽と第九徽のちょうど中間を「八徽半」と呼んだり、徽と徽の間を10等分して「分」を用いる、すなわち例えば第七徽と第八徽の間を10等分した6番目の位置を「七徽六分」、第六徽と第七徽の間を10等分した2番目の位置を「六徽二分」という風に[ 8] 、いわば小数 のように呼ぶ。
以下に散音をCとしたときのピタゴラス音律 による押さえる位置を示す。
按音
徽
C
散音[ 9]
D♭
十三徽六分[ 10]
D
十三徽一分[ 11]
E♭
十二徽二分[ 12]
E
十徽八分
F
十徽
F♯
九徽四分
G
九徽
A♭
八徽半
A
七徽九分
B♭
七徽六分
B
七徽三分
c
七徽
d♭
六徽七分
d
六徽四分
e♭
六徽二分
e
六徽
f
五徽六分
f♯
五徽三分
g
五徽
a♭
四徽八分
a
四徽六分
b♭
四徽四分
b
四徽二分
c1
四徽
d♭ 1
三徽八分
d1
三徽四分
e♭ 1
三徽二分
e1
三徽
f1
二徽六分
f♯ 1
二徽三分
g1
二徽
a♭ 1
一徽八分
a1
一徽六分
b♭ 1
一徽四分
b1
一徽二分
c2
一徽
歴史
宋徽宗 の『聴琴図』
古琴の発明は、伏羲 、神農 、黄帝 、堯 、舜 など、様々の伝説的な人物と関係づけられている。[ 13] :65 [ 14] 琴の最古の文献上の記録は『詩経 』である[ 13] :66 [ 15] 。考古学的には、曾侯乙墓 から琴と似た筑 と十弦琴 が出土している[ 13] :66 。七弦の琴は郭店一号楚墓 から出土した戦国時代 の琴と、馬王堆漢墓 から出土した前漢 の琴があるが、どちらも全長80cmあまりのもので、現在の古琴よりも小さい[ 16] [ 17] 。
南北朝 以降になると現在と同様の120cmほどの古琴が出現する[ 18] 。台湾 の国立故宮博物院 には唐 の時代に作られた「春雷」という琴を蔵するが、この琴は天下第一の琴と呼ばれた[ 19] 。「九霄環佩」というやはり唐の至徳 元載(756年)に作られた琴は、北京 の故宮博物院ほかに4面が現存し、いずれもほぼ同じである[ 20] 。
古琴の構造は時代を通じてほとんど変化がない。宋 の太宗 が9弦琴とそのための曲を作ったが[ 21] 、普及しなかった。
古琴の弦は伝統的には絹糸 であるが、現在は主にスチール弦 やスチール芯のナイロン弦 が用いられる。本来の絹製の弦とは響きが異なるため、近年本来の絹製の弦を使った復元演奏も試みられている[ 22] 。
古琴の専門書として、古くは揚雄 『琴清英』、蔡邕 『琴操』、嵆康 『琴賦』などがある。明 の蒋克謙『琴書大全』(1590、全22巻)には琴に関する古来の多くの論著を集めている。朱権 の『神奇秘譜 』は最初に印刷された古琴譜である[ 23] 。楊宗稷 『琴学叢書』(1911-1931、全43巻)は琴の理論や琴曲32曲を含む総合的な書物である。
元々の名称は単に「琴」であったが、後に「胡琴 」や「洋琴 」など、琴の字の頭に別の名をつけた弦楽器と区別するために、200年以上前から「七弦琴」と呼ばれるようになった。「古琴」の呼称が用いられるようになったのは20世紀後半からである。
現代
戦争が原因で、清 末から古琴家の人数が少なくなった 。1937年に上海 の今虞琴社が行った調査によると、全中国の古琴家はただ112人[ 24] 。1950年代から1960年代、査阜西 は古琴家を取材し、『存見古琴曲譜輯覧』[ 25] と『琴曲集成』[ 26] を編纂し、これにより古琴の再興が始まった[ 27] 。そして、古琴は次第に現代の教育体系に至った。管平湖 ・査阜西・呉景略 ・顧梅羹・張子謙 ・衛仲楽などは北京 ・上海で古琴の研究と伝授が始まった。[ 28]
1977年、ボイジャーのゴールデンレコード には管平湖を演奏した『流水』が収められた。
2003年11月7日、「古琴芸術」はユネスコ の無形文化遺産保護条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に掲載され[ 29] 、2006年5月20日中国最初の「国家級非物質文化遺産」として正式登録された[ 30] 。
日本
日本には遣唐使の時代に譜とともに大陸から伝来、箏や和琴 など他のこと と区別して「琴(きん)」または「琴(きん)のこと」と称した。『懐風藻 』には「琴」にまつわる詩が数多く詠まれている。また『うつほ物語 』の清原俊蔭、『源氏物語 』の光源氏など、物語の主人公が携行し奏でる場面が重要な物語要素となっている。平安時代 中期頃まで演奏されていた記録が『日本三代実録 』『吏部王記 (りほうおうき)』『御堂関白記 』『御遊抄』『枕草子 』に残るが、奏法が難しくまた音量の小さい楽器であったためか、結局、雅楽 の編成にも加えられることなく一度断絶する。その後江戸時代 に至り、東皐心越 によって再び日本に伝わり、熊沢蕃山 、荻生徂徠 、浦上玉堂 らの文人 たちに愛好されたが、一般に広まることはなく再び衰微した。現代の琴学はオランダ公使のファン・フーリック (1910-1967)が岸辺成雄 に教授したことから始まるものである。
古代の琴で日本に現存する代表的な琴に、唐琴として正倉院 宝物の「金銀平文琴(きんぎんひょうもんのきん)」、法隆寺献納宝物 の「開元琴」(東京国立博物館 所蔵、国宝)がある。他に、厳島神社 蔵の伝平重衡 所用の法花(重要文化財 )、尾張・徳川義直 の老龍吟、紀伊徳川家伝来の北宋琴・冠古(別銘「梅花断」(2019年9月北京大学王風教授による鑑定)、『集古十種』所載)、谷響、幽蘭(寛政年間)、天明三年無銘琴(4張ともに国立歴史民俗博物館 蔵)などがある。
楽譜
朱権 『神奇秘譜』の減字譜
古琴の楽譜には、文字譜と中唐時代に開発された減字譜(げんじふ)がある。文字譜は弧本として、漢代、蔡邕 (133-192)が書いた『琴操』に孔子 が作曲したと伝える『碣石調幽蘭第五 』(けっせきちょうゆうらんだいご)(東京国立博物館 所蔵、国宝 )が現存する。彦根井伊家、徳川田安家には、荻生徂徠 の楽書『幽蘭譜抄』が伝わる。
減字譜は文字譜の字画を省略して(減らして)開発したのでこの名がある。その例を挙げれば、「挑」→「乚」、「抹」→「木」、「勾」→「勹」、「名」→「夕」などといった具合である。
減字譜は多数伝わり、朱権 編『神奇秘譜 』明・洪熙乙巳年(1425年)が代表的な琴譜である。減字譜は見た目が非常に変わっており、『紅楼夢 』86回には、林黛玉が読んでいる琴譜を賈宝玉が見て「天書」だと思うシーンがある。
代表的な琴曲に「広陵散」「陽関三畳」「秋風辞」「酒狂」「昭君引」「大胡笳」「梅花三弄」「平沙落雁」「幽蘭」などがある。
中華人民共和国 では1960年から琴譜の叢書 である『琴曲集成』の出版を開始し、2010年に全30巻・142種の琴譜の出版を完了した[ 31] 。
減字譜は現在のところUnicode には未収録であるが、追加多言語面 への追加が提案されている[ 32] 。
伝説
古琴に関する伝説は非常に多い。孔子 が師襄子に琴を習ったときの話(史記 孔子世家)、伯牙と鍾子期の「知音」の故事(『列子 』湯問)、司馬相如 の琴と卓文君の話(『史記』司馬相如列伝)、蔡文姫 が切れた弦の種類を聞き分けた話(『芸文類聚 』の引く『蔡琰別伝』)、嵆康 が刑死するときに「広陵散」を演奏した話(『世説新語 』雅量)などが有名である。
大衆文化
古琴は中国の映画とテレビのバックグラウンドミュージックによく用いられる楽器で、『秦頌』(李祥霆)[ 33] 、『山水情 』(龔一)[ 34] 、『レッドクリフ 』(趙家珍)などが有名である。[ 35]
しかし、古琴の使い方が間違っている作品も多く、『カンフーハッスル 』に登場する「古琴」は本当の古琴ではなく、それに付随する音楽も古筝 によるものであった[ 36] 。『宮廷の諍い女 』でも古筝による音楽が使われ、さらに出演女優は古琴を逆さに置いて弾いている[ 37] 。
脚注
参考文献
山田孝雄 『源氏物語之音楽』宝文館 1934年
三谷陽子『東アジア琴箏の研究』全音楽譜出版社 1980年6月25日
上原作和 『光源氏物語の思想史的変貌 《琴》のゆくへ』有精堂出版、1994年12月20日 ISBN 978-4640310552
岸邊成雄『江戸時代の琴士物語』有隣堂印刷株式会社出版部 1999年9月20日
吉川良和 『中国音楽と芸能 非文字文化の探究』(中国学芸叢書)創文社 2003年12月30日 ISBN 978-4423194270
上原作和『光源氏物語學藝史 右書左琴の思想』翰林書房、2006年5月20日 ISBN 978-4877372293
中 純子『詩人と音楽 - 記録された唐代の音』知泉書館 2008年11月15日 ISBN 978-4862850454
上原作和編『《琴》の文化史 東アジアの音風景』「アジア遊学」126号 勉誠出版 、2009年9月30日 ISBN 978-4585104230
Tsar Teh-yun (1905-2007) maitre du qin (2 cd-set+54 pages booklet in English/French), AIMP-VDE Gallo, VDE CD 1432/1433, 2014
The Heart of Qin in Hong Kong , Director: Mayram Goormathtigh, 52', 2010 documentary, Hong Kong China (Language: Cantonese, Subtitle: Chinese and English)
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
古琴 に関連するメディアがあります。
外部リンク