反町茂作
反町 茂作(そりまち もさく/しげさく、1888年(明治21年)10月10日[1] - 1962年(昭和37年)1月2日)は、日本の保険銀行事業家。 略歴1888年、新潟県に生まれる。1911年(明治44年)、早稲田大学商科を卒業。反町新作商店に勤務。 1918年(大正7年)、日本郵船取締役(元ロンドン支店副支配人)であった根岸錬次郎発起の東京動産火災保険(東京市日本橋区道三ノ2)に入社[2]。 1919年(大正8年)2月18日、専務取締役に就任。 1934年(昭和9年)11月19日、取締役社長根岸錬次郎辞任のため、社長に就任。 1944年(昭和19年)、東神火災保険を合併し、東京動産火災保険を大東京火災海上保険と改称した。 1952年(昭和27年)8月1日、三上英夫が取締役社長に就任し、反町は取締役会長となる。 1955年(昭和30年)、黄綬褒章受章。 1962年(昭和37年)1月2日死去[3]。 家族
関連項目脚注
参考文献
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