原田三夫 (科学ジャーナリスト)
原田 三夫(はらだ みつお、1890年(明治23年)1月1日 - 1977年(昭和52年)6月13日[1][2])は、日本の科学ジャーナリスト[3]、教員。科学雑誌や科学の啓蒙書の編集者・作家[4]。『子供の科学』初代編集長[3]。漫画家前谷惟光の父[5]。 1890年(明治23年)1月1日、名古屋に生まれる[1]。1907年東北帝国大学予科入学、1910年中退[6]。第八高等学校 (旧制)を経て[7]、東京帝国大学理科大学(後の東京大学理学部)を卒業[2]。東京府立第一中学校で教員を務める[2]かたわら翻訳に携わる[8]。教職を辞めた後、科学雑誌『子供と科学』(1917年)、『少年科学』(1917年)、『科学画報』(1923年)、『子供の科学』(1924年)を次々と創刊[8]。 1953年(昭和28年)、日本宇宙旅行協会[10]を創設[1][11]、1955年、理事長に就任[1]。 1964年(昭和39年)日本宇宙旅行協会を引退し、千葉県夷隅郡大原町(現・いすみ市)に隠棲する[1]。 日本宇宙旅行協会の理事長だった際に、広報活動の一環として「火星土地分譲予約受付証」を発行したことで知られる。映画『火星のわが家』の神山康平のモデルともなっている[12]。 出典
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