原昌久
原 昌久(はら まさひさ、1961年12月1日[1][2][5] - )は日本の元騎手。日本中央競馬会 (JRA) の美浦トレーニングセンターに所属していた[2][3][4]。 引退後も競馬に関する仕事にたずさわっている。 来歴北海道[2][5]函館市[1] 出身。中学生時代にアルペンスキーの強化選手に選ばれた経験を持つ[1]。 高等学校中退後[1] の1978年に馬事公苑へ入り[5]、日本中央競馬会の騎手免許試験に3度目の受験で合格[5]。本郷一彦厩舎所属[1][5] の騎手として1983年[1][4][5] 3月[2][3] にデビューし、1998年1月[5] 31日付で引退[2][3][4] するまでの間に通算167勝(2061戦)[2][3][4][5] を中央競馬で挙げた。重賞で勝つことはできなかった[2][4] が、1988年に本郷厩舎の管理馬モガミファニーとともに東京優駿への出場を果たし[6]、1990年にはアメリカジョッキークラブカップにて同じく本郷厩舎の管理馬であるランニングフリーに騎乗し2着となっている。 騎手引退後は原 大貴(はら だいき)名義で評論活動を行い[5]、2002年に『騎手が教える「勝負レース」の極意』を著した[7]。その後は養成学校「プロスパーホースマンアカデミー」で人材育成に努めた[8]。2007年時点では千葉県にある大東牧場に勤め[9]、2012年現在は茨城県にある育成牧場「グロースフィールド」の代表取締役[10] として、競走馬の育成に従事している[11]。 脚注
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