原始ブラックホール[1][2] (げんしブラックホール、英: primordial black holes、PBH) とは、ビッグバン直後に形成された可能性のある仮説上のブラックホールの分類である。初期宇宙においては、高密度で非一様な環境のため重力崩壊を引き起こすのに十分な高密度領域が形成される可能性があり、その場合ブラックホールが形成される。このような天体の存在は、1966年にヤーコフ・ゼルドビッチとイゴール・ノヴィコフ(英語版)によって初めて提唱された[3]。これらの天体の起源の背後にある理論については、1971年にスティーヴン・ホーキングによって初めて詳細に調べられた[4]。原始ブラックホールは恒星の重力崩壊からは形成されないため、これらの質量は恒星質量 (例えば 2×1030 kg) よりもずっと小さいものになり得る。ホーキングは、原始ブラックホールの質量は 10−8 kg 程度の小さい値にまでなり得ることを計算により示した。
2016年3月、LIGOおよびVirgoによって2つの30太陽質量ブラックホール (およそ6×1031 kg) 合体の際に放出された重力波の検出が報告された1ヶ月後、3つの研究者グループが独立して、検出されたブラックホールは原始ブラックホール起源であるとする説を提唱した[15][16][17][18]。そのうち2つのグループは、LIGOによって示唆されたブラックホールの合体頻度は、もし原始ブラックホールの無視できない割合が矮小楕円体銀河や球状星団などのようにハローにある程度集まっている場合、全てのダークマターが原始ブラックホールからなっているとするシナリオと矛盾しないものであるとした。これは一般的な宇宙の構造形成理論から期待される結果である。残りの1グループは、観測されたブラックホールの合体頻度は原始ブラックホールがダークマターの全てを占めるとするシナリオとは一致せず、原始ブラックホールのダークマター全体への寄与は1%未満に過ぎないと主張した。LIGO によって検出されたブラックホールの質量が予想外に重かったことから、太陽質量の1から100倍の範囲の質量を持つ原始ブラックホールへの関心が強く呼び起こされることとなった。しかし、星のマイクロレンズ現象が検出されないこと、宇宙マイクロ波背景放射の非等方性、暗い矮小銀河の大きさ、銀河中心方向におけるX線天体と電波天体との相関が見られないことなど、この質量範囲の原始ブラックホールが観測によって否定されるかどうかについては未だに議論が続いている。
しかし2019年4月には、原始ブラックホールがダークマターの主成分であるという仮説が難局に直面することを示唆する研究が発表された。国際研究チームがスティーヴン・ホーキングによって提唱された理論についてこれまでで最も厳密な検証を行い、0.1 mm よりも小さい原始ブラックホールがダークマターの大部分を占める可能性を否定する結果が得られた[19][20]。
3太陽質量の一般的なブラックホールは、物質の降着がない場合でも蒸発するまでにおよそ 1069 年を必要とするため、現在の宇宙の年齢の間にその質量を失うことはできない。しかし原始ブラックホールは恒星の核の崩壊によって形成されるものではないため、いかなる大きさにもなる可能性がある。質量がおよそ 1012 kg のブラックホールは、ホーキング放射に対する寿命が宇宙の年齢とおおむね等しくなる[7]。このような低質量のブラックホールがビッグバンの際に十分な量形成されたのであれば、我々は銀河系内の比較的近傍においてこれらのいくつかの爆発を観測できるはずである。2008年に打ち上げられたNASA のフェルミガンマ線宇宙望遠鏡は、このような原始ブラックホールの蒸発を探査することを目的の一部として設計されている。フェルミの観測データからは、1013 kg 以下の原始ブラックホールがダークマター全体の質量に占める割合は 1% 未満であるという制約が得られている。原始ブラックホールの蒸発はビッグバン元素合成にも影響を及ぼし、宇宙の軽元素の存在量を変える可能性がある。しかし理論的なホーキング放射が実際に存在しないとしても、原始ブラックホールは小さく重力的には大きな影響を及ぼさない存在であるため、宇宙でそれらを検出するのは不可能ではないにせよ極めて難しいと考えられる。
ガンマ線バーストの重力レンズ現象
ガンマ線バーストと我々の視線上にコンパクトな天体が存在した場合、重力レンズ現象によってガンマ線バーストの光度が変化する可能性がある。フェルミのガンマ線バーストモニターを用いた観測では、5 x 1014 – 1017 kg の質量範囲にある原始ブラックホールは、ダークマター全体に対して重要な寄与をしないという結果が得られている[27]。
中性子星による原始ブラックホールの捕獲
もし 1015 – 1022 kg の質量を持つ原始ブラックホールがダークマターと同程度の存在量であった場合、球状星団内にある中性子星はそれらのいくらかを捕獲し、その結果として中性子星の急速な破壊が発生する可能性がある[28]。そのため球状星団内の中性子星の観測は、原始ブラックホールの存在量に制約を与えるのに利用できる。
恒星のマイクロレンズ
もし我々と遠方の恒星の間を原始ブラックホールが通過した場合、重力マイクロレンズ効果によってそれらの恒星の増光が引き起こされる。マゼラン雲内にある恒星の増光をモニタリングすることで、EROS (Expérience de Recherche d’Objets Sombres) および MACHO サーベイによって、1023 – 1031 kg の質量範囲にある原始ブラックホールの存在量に制約が与えられている[29]。これらのサーベイによると、この質量範囲の原始ブラックホールはダークマターの主要な一部にはなりえない[29][30]。ただしこれらの制約は理論モデルに依存する。また、もし原始ブラックホールが高密度のハローに再グループ化された場合、マイクロレンズの観測結果による存在量への制約を回避することが出来るとの主張もある[16]。
Ia型超新星のマイクロレンズ
原始ブラックホールの質量が 1028 kg よりも大きい場合、遠方のIa型超新星 (もしくはその他の光度が分かっている宇宙の距離梯子となる天体) を重力レンズによって増光させる可能性がある。もし原始ブラックホールがダークマター密度に大きく寄与しているのであれば、これらの効果は明らかである[31][32]。観測からは、Ia型超新星の明るさに影響を及ぼしうる質量の原始ブラックホールは、ダークマターの主要な構成物質ではないことが示されている[31][32]。
矮小銀河 Eridanus II の中心星団の観測。ただしこれらの観測からの制約は、観測から示唆されているように、もし Eridanus II 自身が中心に中間質量ブラックホールを持っている場合は緩いものとなる[36]。仮に原始ブラックホールが広い質量分布を示す場合であっても、この制約を回避することが出来る。
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