原國雄
原 國雄(はら くにお、1944年9月18日 - )は、東京都日野市出身の元俳優・元アナウンサー。 1950年代まで子役、1960年代後期から2000年代までアナウンサーとして活躍。 経歴父は東映プロデューサーであったことから、小学3年次の1954年に子役として芸能界デビュー。『母水仙』『少年探偵団』『月光仮面』などに出演するが、中学時の1959年に芸能界を引退[1]。 1964年に早稲田大学政治経済学部へ進学し、アナウンス研究会にも所属。同研究会ではフジテレビに入社した逸見政孝・松倉悦郎、毎日放送に入社した板倉俊彦、政治学者・大学教授の福岡政行と同期であった。 卒業後の1968年に福島テレビへ入社(同期には鈴木孝之、玉盛孝江、増子慶子)。放送界入りし、この当時福島県に民放テレビは福島テレビ1局しかなく、同局で5系列(フジテレビ・東京放送(現・TBSテレビ)・日本テレビ・NETテレビ(現・テレビ朝日)・東京12チャンネル(現・テレビ東京))の番組が放送されていた。アナウンス部長、アナウンス室参事補[1]、福島県立点字図書館朗読奉仕者養成教室講師[1]も歴任し、2004年からは福島テレビ関連会社に籍を置き、引き続き活動。2008年6月6日に関連会社を退職、福島県内の放送局のアナウンサーでは最年長での退職となり、福島テレビのオープンネット時代・クロスネット時代(NNN及びJNN加盟時代など)を知るアナウンサーはなくなった。 退職後は、元アナウンサーの有志で朗読会「原國雄とその仲間たち」として福島県内を中心に活動している[2][3]。 出演映画
アナウンサー
主な実況歴脚注出典
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