北条師頼
北条 師頼(ほうじょう もろより)は、鎌倉時代末期の北条氏の一族。北条時頼の孫。父は桜田時厳。母は不詳。桜田 師頼(さくらだ もろより)とも呼ばれる。通称は桜田 七郎(さくらだ しちろう)。 略歴元亨3年(1323年)、大隅守護に任じられ、鎌倉幕府滅亡まで在職した。 正中2年(1325年)以降、鎮西引付衆1番頭人を務めた[1]。 元弘元年(1331年)9月、元弘の乱において、北条高時が畿内に派遣した討手のなかに桜田三河守(師頼)の名がある[2]。
得宗家と桜田流との関係系図凡例:数字は得宗家代数、太字は執権経験者。
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